みなさん、こんばんは。
フィレンツェ中央駅でーす。
ここに行くってことはどっか出かけるのよ。
話は少し前に戻ります。
私が前回日本に帰っていた時期でして、
猫とダラダラ過ごした8ヶ月はコロナで大騒ぎの2020年から2021年に跨る頃ですね。イタリアに帰れず、しょうもない時間でしたが、そんな頃に私に届いた一つのメール。それが今回の目的につながるお話です。
ある方がお祖父様の遺された旅行記を元に世界を旅することを決意されて、その1ページのお手伝いをすることになりました。
時は86年前に遡ります。1937年、第二次世界大戦前にお祖父様は世界一周をされました。
当時は一般人が海外に出るなどとてもハードルの高いことで、勿論お祖父様は国関係として世界を旅しました。とても几帳面な方だったらしく細かく自分の気持ちから訪れたルートなどが細かくしたためてありました。文面は昭和12年の文書ですから非常に難しく解読も大変だったと伺いました。
お孫さんはその旅行記を受け取り、大事にされていてコロナが終わった頃にはその足跡を辿りたい。その一心にひどく感銘を受けました。私の親族にはそんな著名人も偉人もいませんから、昔の旅はいかがなものだったのだろうと興味が湧きました。
今となれば当たり前に誰でも海外旅行は可能です。
しかし1937年って限られた人だけが旅をできるような時代ですよね。しかも戦前ってどんなんなん?
簡単なルートを説明すると、日本からまず朝鮮半島に船で向かいます。北朝鮮を訪れてからロシアへ。当時の北朝鮮は日本の統治下で、1948年から朝鮮民主主義人民共和国が誕生するんだからまた違った風景でしたでしょうね。
ロシアより列車に乗る。
ロシアはソビエト連邦でした。げ、スターリンの時代だ。
お祖父様は列車の中の食事が不味いと聞いていたらしく、その寝台列車の中で炊飯もしたようです。そんな話題を同僚とできるくらいの位の高い方だったのでしょう。長い時間をかけてポーランドに入り、ドイツを目指します。当然ヒトラーの時代です。
この世界一周旅行での肝となったのはこのドイツであったらしく、比較的長い時間を使ったようです。詳しい行程はわかりませんが、お祖父様はドイツで一つのカメラを購入しました。現像した写真は旅行記と共に存在しますが、写真は小さいものでまとめて貼り付けたらしくアメリカなど順番はごちゃごちゃになって貼っていたということです。マメな方だったらしく、しっかり旅行記は仕上げたものの、写真だけは時系列がわからなくなってしまったのか、面倒臭くなってしまったのか…?
で、なんだかんだでイタリアまでたどり着きます。
1937年5月のことでした。
フィレンツェには立ち寄りませんでしたが、そんなお祖父様が訪れたトスカーナの小さな町へ行ってきます。
つづく