みなさんこんばんは
私はいつも勉強をしていると脱線の連続で昨日の朝も同じことが。
ヴァザーリの回廊を勉強しているはずが天正遣欧少年使節団にたどり着いてしまった。
日本人で初めて公式にヨーロッパを訪れた若き4人の少年たち。
1582年に長崎港を出港し、2年半かけてポルトガルに到着。マドリッドを経て1585年3月7日にフィレンツェに到着。ヴェッキオ宮殿に滞在しました。
彼らは1560年にできたばっかりのウフィッツィ美術館の建物を見たのでしょうね。

当時はミケちゃんのダヴィデ像も本物が宮殿前に置かれていた時代ですからそれも目の当たりにしたのでしょうか。
その後彼らはローマ法王グレゴリウス13世に謁見しローマ市民権を与えられます。

そして1590年に日本に帰るわけです。昔は3年ほどかけてやっとヨーロッパにたどり着いたわけですから、現在12時間ほどかけて日本からイタリアに来ることは進歩したということなんですかねー。(像は長崎県大村市にあるものです)
私が気になったのはそのくだりではなく、帰国したこの4人の少年がどういう人生を送ったかということでした(そしていよいよ勉強ははかどるわけでなくどんどん脱線していくのでした・・・)。
一人は棄教し、一人は司祭になった後に亡くなります。他の二人はマカオで死亡と穴づりで殉教するわけです。
穴づりで亡くなった方は中浦ジュリアンという方でした。
穴づりというという拷問は1メートルくらいの穴に逆さ吊りし、こめかみに穴を開けるなどしてじわじわと殺す方法です。全身の血液が頭に集まり目から少しずつ血が垂れていく。その穴に汚物を落として感覚的苦痛と肉体的苦痛で棄教を促す方法でした。考えるだけで恐ろしい。
この拷問に屈することなく、中浦ジュリアンは殉教し、後に現在のローマ法王ベネディクト16世に2005年列福されました。
その話を今日していたときに、遠藤周作の「沈黙」を読んだほうがいいという話になりました。
中浦ジュリアンと一緒に穴吊りの刑にあったクリストファン・フェレイラ。イエズス会士のポルトガル人だった彼は5時間後に「南無阿弥陀仏」と言って棄教した。
私はあまり本を読む人間ではないのでこの話も知らなかったのですが、「沈黙」という本は当時のカトリックではかなり大騒ぎになった内容だそうです。遠藤周作はバチカンに呼ばれてこの意図を問われたとか。彼自身キリスト教徒ですので、真意をバチカンも知りたかったそうなのです。殉教した者は神を見た者といい、転んだ者(棄教者)はそうでない者とみなされています。遠藤周作は転んだ者もキリストは見捨てていないという考え方でこれが物議を呼んだ理由です。(少なくとも私は遠藤周作の考え方があたっている気がします)
カトリック教会は棄教した人間に敬意を払うことはないというのが一般論ですので、フェレイラ神父を擁護して書いたこの本は私の興味を非常にそそるものです。
いつか読んでみようと思います。
ということで、話が2転3転しましたが、「今日の一言申す」でした。
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