みなさんこんばんは
アッシジに行って来ました♪
2000年に世界遺産になりましたね。
私がいつも「100回行っても101回行きたい町」と豪語するところです。
ウンブリア州ペルージャ県にある小さなまち。

紀元前1000年まで遡る、歴史はとても長い。
先住民のウンブリア人が作り始めて、紀元前5世紀ごろにエトルリア人にこの土地が奪われました。
3世紀になるとやっぱりローマ人の土地になってしまうんですね・・・
この流れはどこでも見られるが、個人的にいつも悲しくなってしまう。
その後この町は政治的・宗教的なものに常に巻き込まれていく訳で。
それらの面影が要所要所に見受けられて不思議な空間をつくりだしているんです。
でもこの町で一番の有名人がサン・フランチェスコ(聖フランシス)さんでしょうねー。
イタリアの守護聖人であり、このアッシジの出身。
残念ながらアッシジの守護聖人ではありませんのー。
それはサン・ルフィーノさんです。
そのうちサン・フランチェスコさんの人生はお話したいと思いますが、今回は長くなるので。
とにかく12世紀から13世紀にかけて生きた実在の人物です。全ての所有を拒否し、人間として底辺で生きることを誓い、実現させたとんでもない人生を送ったまさしく聖人ですね。ま、途中までは普通のおぼっちゃまとして豪遊したりするんですが、ある日突然目覚めてしまうんです。
亡くなる2年前(42歳)でスティグマ(キリストが磔刑の際に受けた5つの傷)をラヴェルナ山で受けました。どの彼の肖像にも手足に穴ぼこがあります。
彼が亡くなると程なくして列聖され、サン・フランチェスコ教会が建てられるわけです。

それが1253年。
恐らくこの行為を天国でみたフランチェスコは嘆いたことでしょう。
彼の本意ではなかったのですから。こんな豪華な教会より、そのお金を貧しい人に使うことを望んだでしょう。明らかに宗教上利用された形になったこの教会には沢山の参拝客と観光客が訪れます。
1997年に大地震がアッシジを襲い、修復は急ピッチですすめられました。
10年前、そんなことを知らずに建築の勉強でフィレンツェ大学の教授の授業に行ったことが思い出されます。美しいなぁの一言しか当時は出ませんでしたが、歴史的背景を知った今ではなんとなく複雑な感じがします。
それにつけても何てマナーが皆さん悪いのでしょう。
地下にはサン・フランチェスコの墓地があるのですが、フラッシュだけでなく写真が禁止になっています。わたしは自分のお客様(このときは高校生の研修旅行だったのですが)に駄目だといっている立場上、他のマナー違反の外国人に一々説明せざるを得ませんでした。しかし、こんなオリエンタルな人間がいくら言っても誰も聞いてくれず、無視して写真を撮るんです。あまりに自分が無力で泣けてきました。
それから勿論サンタ・キアーラ修道院も行きました。
キアーラはフランチェスコに師事した一番初めの女性、同時代に生きた聖女です。
フランチェスコ会が行った托鉢は男性のみ、女性は修道院に篭り、ひたすら神に祈って生きるのでした。
いまでもこの修道院には70名ほどの修道女たちが飲食をともにひっそりと生活しています。
彼女のお墓もこの修道院の地下に存在し、やはり写真をバンバンとっている外国人にいちいち説明していかなければなりませんでした。彼らは一体キリスト教徒なのか、ただの観光客なのか・・・
現地のガイドさんにも言われましたが、こういうマナーの取締りがアッシジは弱いと。
フィレンツェはしっかりやっているのに、とも言われました。
・・・・そうでもないんだけど。
確かにバチカンやアッシジに比べたらしっかりやっているのかも。でも天下のウフィッツィ美術館でさえボッティチェッリの部屋なんてひどいもんだ。私毎回注意してますもん、ときどきは日本の観光客の方にも言うこともあります。
ルールやマナーを守って気持ちよく観光したいもんだ。
ということで夕方アッシジの駅から2時間かけてフィレンツェに戻りました。
この時間帯になると15時半、17時半、19時半てな感じでとにかくフィレンツェに向かう列車が少ない。
でも時間が判っていれば、うまく計算してフィレンツェからの日帰りもできますがな。
電車の中での時間つぶしの本でも持ってくといいかもしんない。
私は仕事だったから邪魔で何も持っていかなかった&最愛のi phoneがバッテリー切れで電車で時間をつぶせず、窓の外は真っ暗で何も見えず、つまんなかったですー。
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