みなさんこんにちは

黒帯のジョヴァンニという人物はメディチ家でも重要な人物。
1494年、メディチ家はフィレンツェから放逐され、亡命した。ジョヴァンニはその直系ではなくメディチ家傍系にあたる。
1498年、フィレンツェではジローラモ・サヴォナローラという坊さんがフィレンツェを取りまとめていたがやりすぎたため5月23日にシニョーリア広場で火あぶりの刑で死んだ。そのちょっと前に生まれたのがジョヴァンニだった。
以前、洗礼堂の「ヨハネス23世」の回で紹介したジョヴァンニ・ディ・ビッチ・ディ・メディチからの家系でいうと、
ジョヴァンニ・ディ・ビッチ→老ロレンツォ(老コジモの弟)→老ピエールフランチェスコ→ジョヴァンニ(イル ポポラーノ)→黒帯のジョヴァンニとなる。
母にカテリーナ・スフォルツァという女傑を持つ。黒帯のジョヴァンニの息子は有名なコジモ1世。さらに付け加えるとコジモ1世の母親、黒帯のジョヴァンニの妻マリア・サルヴィアーティはロレンツォ豪華王の娘。
親戚のローマ教皇レオ10世(本名がジョヴァンニ・デ・メディチ・・・ジョヴァンニはもういいっちゅうねん!ややこしい)が37歳という若さで教皇に即位した。レオ10世のもと、軍人として教育を受けた。レオ10世が亡くなったとき、彼は冥福のために黒い帯をつけた。また彼の軍隊はみな黒い帯をつけていた為このようなあだ名がついたらしい。
非常に勇敢で優秀だったそうだが、29歳という若さで病死した。

そんな彼がサン・ロレンツォ教会の広場に鎮座している。
ミケランジェロに深く影響を受けていたバッチョ・バンディネッリ1540年の作品。息子コジモ1世が依頼した。マントヴァにあった彼の墓は今では教会裏のメディチ家礼拝堂にある。

今日、歩いていて像を見上げてふと思った。「やっぱりかわいそう・・・」
そんなにすばらしい方だったのにこんなんしてくれちゃって。
フィレンツェ人たちが言う「トイレで座っている人みたい」
違うんです、すごく勇敢だったんです。バッチョ・バンディネッリはどうしてもツメが甘い。
いいセンまでいつも行くのに、なぜか評価がさがってしまう。
例えばウフィッツィ美術館の外にある壁がんにある黒帯のジョヴァンニの像(1800年代)は↓

↑勇敢そうやん!ええやん!!!
なのに、みんなしてあの像トイレでふんばっている人みたいって余りに気の毒だ。
バッチョのばかー。お前なんて嫌いだぁぁぁ
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