みなさんこんばんは

フェッラーラに行ってきました。

エミリア・ロマーニャ州にあるこの町は1995年、世界遺産に登録されました。
自転車の町としても知られていて、人口(13万人)より自転車の数が多い町。
あ、オーストラリアの羊みたいなものか
(ちがうね)。

結構自転車を使いやすい様に道路が整備されているのですが、ちょいちょい大きな石のある道路もあって、
ガタガタしながら通り過ぎるフェッラーラ人たち。

自転車が多い分、エディーコラ(雑誌&新聞屋)の店頭には自転車の雑誌が。さすがフェラーラ。
実は写真を撮り損ねたのですが、大きな鍵を付けずに駐輪してあるものも・・・
これ、治安のよさが出ていますね。フィレンツェなんてどんな巨大な鍵を付けても盗まれるね。

エステンセ城のある隣にサヴォナローラ広場があります。そこにはサヴォナローラの像があります。

ジローラモ・サヴォナローラ(1452年9月21日 - 1498年5月23日)はフェッラーラで生まれてフィレンツェで火あぶりになった修道士です。フェッラーラ大学で勉強したあと、ドメニコ会に入り、のちにフィレンツェ、サン・マルコ修道院の院長を勤めます。時は1494年、メディチ家の直系がフィレンツェから居なくなります。華やかなことは良くないとする教えに対し、フィレンツェ人たちは同意し、『華燭の焼却』と呼ばれる華美な物、異教のものを燃やすことをしました。あのボッティチェッリも多くの自分の作品を燃やしてしまいます。サヴォナローラはどんどん人気と権力を増していきます。
そのサヴォナローラに対し、ローマ教皇アレッサンドロ6世は脅威を感じ、彼を破門します。さらにメディチ家ロレンツォ豪華王の華やかな時代を知っているフィレンツェの民衆達は、その当時を懐かしく思うようになりました。

彼は全ての人に邪魔にされ、とうとうフィレンツェ、シニョリーア広場で二人の弟子と共に火あぶりになってしまいました。彼の神格化を恐れた人たちはその遺骨を残すことに反対をして、アルノ川に遺灰は捨ててしまいました。

サヴォナローラが火あぶりの刑にされたシニョリーア広場には石碑があり、毎年5月23日には大きな花束がたむけられます。
こんなサヴォナローラをフェッラーラの人はどう思っているのでしょうか?
私はインフォメーションを訪ね、直接訊いてみました。特に愛しているというわけではないようですが、誇りには思っているようです。やはりフェッラーラ出身の有名人ですものね。現在では殉教という形には取られていませんが、フェッラーラの人にとってはちょっぴり特別なのかもしれませんね。
明日はエステンセ城をお伝えします。
ブログランキングに参加しています。
みなさんの下記クリックで『ブログがんばろー』と思って毎日更新できます。
もっともっと良くしていきたいので、是非ご協力してください。
みなさんが訪問していただいた『あしあと』を残していってください。
↓ここをクリック♪







にほんブログ村<
↓お手数ですがこちらにも『あしあと』を♪
イタリア(海外生活・情報) ブログランキングへ
どうもありがとうございました。