みなさんこんばんは
今日も自転車の町、フェッラーラをお送りします。
フェッラーラ前編をお見逃しのかたは
こちらをクリック。
エステンセ城(Castello Estense)。1385年、エステ家が建てました。
エステ家とはフィレンツェにおけるメディチ家のような重要な家系で、フェッラーラを4世紀に渡り統治しました。
エステ家出身の有名人といえば、なんと言っても、ルネサンス期にマントヴァ候に嫁いだイザベッラ・デステ(Isabella d'Este 1474-1539)。文芸を保護し政治にも手腕を発揮しました。ちなみに上記の肖像画はレオナルド・ダ・ヴィンチの作品(1519)。
それから、エステ家に嫁いだ有名人といえば、なんと言っても、超問題ローマ法王アレッサンドロ6世を父に持ち、超問題児チェーザレ・ボルジアを兄に持つ超問題妹ルクレツィア・ボルジア。1501年、アルフォンソ1世(Alfonso d'Este)と3度目の結婚をしました。
ま・・・彼女達の人生もかなり興味深いのですが、今回には関係ないのでまたの機会に。
さ、本題に。まず、これが城の平面図。実はお堀のようなものに囲まれていて、跳ね橋で外部から場内に入れるようになっています。これって日本のお城にも通じませんか?地球の裏側でフシギな共通点。
でもね、これってお堀じゃないんです。
実はこのお城の前にViale Cavour-Corso Gioveccaっていう目抜き通りが走っていて、その下はポー川なんです。その川がこのお城の周りにお堀のように見えるんですね。
跳ね橋はこんな感じ。青いビニールで被っているのは2年前の地震によるものです。この城の四つ角にある4つの塔も全て壊れてしまい、只今修復中。
中庭に突入。実はこちらが建てられてからはここは軍隊が使っていました。エステ家が住み始めるのはアルフォンソ1世の時代に入ってから。ですから当時を想像できるように石の玉とか大砲とか置かれているんですね。
井戸があります。これ、下のポー川のを汲み上げるためのものでしょうね。
で、この井戸の奥ですが、見えますか?ここはエステ家が住み始めるに対して作られた螺旋階段です。
この階段、幅が広くて段差が低い。なぜかと言うと、1階(piano nobile)に住んでいたエステ家の人たちを地上階から馬でお連れしていたんですね。ちなみにこの上にある塔は牢獄として使われていました。
中庭にはインフォメーションもあります(9.00-18.00)。
城の見学は9.00-13.00、15.00-19.00(月曜休み)。
私は時間が無くて見れなかったのですが、次回フェッラーラのローカルガイド、マリア・テレーザに案内してもらいたいと思っています。早くここに帰ってきたいなぁ。とてもステキな町でした。でも沢山の店が閉まっていてちょっと寂しい・・・・
次回はフェッラーラ最終回、だよん。
ブログランキングに参加しています。
みなさんの下記クリックで『ブログがんばろー』と思って毎日更新できます。
もっともっと良くしていきたいので、是非ご協力してください。
みなさんが訪問していただいた『あしあと』を残していってください。
↓ここをクリック♪にほんブログ村<
↓お手数ですがこちらにも『あしあと』を♪
イタリア(海外生活・情報) ブログランキングへ
どうもありがとうございました。