みなさんこんばんは
今日もフェッラーラをお伝えします。
バックナンバー、
フェッラーラ前編、
フェッラーラ中編も見てね。

よく外で食べれるお食事処には、お花の鉢などがおいてあるのですが、ここはバジルとローズマリーが飾っています。一石二鳥ってか?

昨日お伝えしたエステンセ城からCorso Martini della libertà通りをカテドラル広場に向かっていくと、左手に黄色い建物が。ここにエステ家は住んでいました。アルフォンソ1世の時代にエステンセ城へ居を移すまでこのような庶民的(に見える)なところに住んでいたんですね。フシギ。

さらにその隣(カテドラルの正面)にあるのが、パラッツォ・ムニチパーレ。1243年から建てられました。
勿論ここもエステ家の住居でした。ですから、かつてはパラッツォ・ドゥカーレと呼ばれていました。
二つの彫像が目印。まず馬に乗っている像がニッコロ3世(1383-1441)、愛人を多数作った色男。

座っているのは、ニッコロ3世が愛したシエナの貴族の娘、ステッラとの間の3男、ボルソ(1413-1471)、ラッキーなことに初代フェッラーラ公爵。父ちゃんやったよ!

はい、お待たせ。カテドラーレ♪
12世紀から作り始めました。下部はロマネスク様式、上部はゴシック様式という混合タイプ。
ピサの洗礼堂を髣髴とさせるコラボレーション。
中心には『最後の審判』が描かれ、その右側には・・・

壁がんにあるアルベルト・デステの像が。渋い場所にありますが、フェッラーラ大学を創設した方(1391)。

さて、ファザード(正面)向かって左側を通ってみましょう。こちらの教会側面はちょっとさびしいですね。
なぜかと言うと、この教会側面に広がる風景がかつては『お墓』だったからです。今では・・・

フェッラーラ大学が存在。かのコペルニクス、サヴォナローラが学んだ大学。お墓に大学・・・う、うーん。

この並びには実は、貴重なオステリアがあるんですね。ギネスにも認定されました。
創立以来同じ場所に同じ名前で構えていることがギネス記録なんですって。
Brindisi・・・すごいな。
Enoteca al Brindisi
Via degli Adelardi, 11, Ferrara, Italia
0532-209-142
うえ、立ち寄りたかったよ。

そして教会の側面にある反対側ですが、お墓側とは違う雰囲気で華やかなんですね。

私、とってもビックリしたんです。教会に店が並んでくっついている。
教会に店がついているなんて、俗世との融合か・・・。
歴史を感じます。
このカテドラルも入場時間に間に合いませんでした。もう涙涙です。

このカテドラルから東の方向に進むとかつてのゲットー(ユダヤ人居住区)があります。

あー、それらしき言葉がかかれている。やっぱりユダヤ人居住区だったんだ。でも、
シナゴーガがないぞ。

地図をみたら、ココがシナゴーガでした。あら、普通のアパートメントみたいですね。
フェッラーラはとても美しく、安全で、心地よい街でした。
二日くらいはかけてのんびりしたかったです。
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