みなさんこんばんは
バックナンバーは
、①モザイクと世界遺産、
②さんぽ、
③異端派の洗礼堂です。
今日もラヴェンナを紹介します。

草原に何か・・・ん?水牛??え、だって・・・

いえいえ、水牛でもこれは地元の現代アーティストのものです。ラヴェンナには水牛がいないのに~。

ここにはこんな像もあるんですよ。アウグストゥス(伊:チェーザレ・アウグスト 前27-14)、ローマ帝国初代皇帝。何故ここにあるかというと、当時はナポリにしか重要な港はありませんでした。彼はイタリア半島反対側にあるアドリア海にも重要な港を作ることを決め、ラヴェンナに白羽の矢が立ちました。コンスタンティノポリスにも近いしとても便利になったそうです。

そんな風景に囲まれたのが、世界遺産、サンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂(Basilica di Sant'Apollinare in Classe)です。6世紀半ばに完成しました。『クラッセ』とはここにあった港町のことを指します。現在は先ほど見ていただいたとおり、平地にある教会のような風景ですが、その当時は『クラッシス』と呼ばれ、ラヴェンナの外港があったんです。後に埋め立ててしまって今のようになりました。

中に入ると一部分の床が低くなっている部分が見受けられます。ここが聖堂が作られた頃のオリジナルの床。以前にもお話したとおり、モザイクと言うのはもともと床のために作られていました。ここも地盤沈下でこの部分のみ他の部分より低くなっています。

内部は三廊式のバジリカとなっています。12本の柱が空間を区切っています。
昔の教会というのは縦に二層になっていて、ミサを受ける際、地上階に男性、1階に女性と分かれて受けるものですが、ここは地上階しかありません。ですから、左右に女性と男性が分かれてミサを受けたそうです。

列柱はギリシャ産の大理石を使っています。山など無い干潟のラヴェンナにとって、大理石は非常に高価なものでした。それをふんだんに使ったことから当時はかなり重要な建物だったということが分かります。

列柱の上部には円形の肖像画が。これは歴代のラヴェンナ司教です。実際ここは6世紀末から8世紀後半まで司教たちの墓所がありました。

その司教たちの中でもでもとりわけ目立つ、向かって右から4番目の肖像画。彼は第122代ローマ教皇ヨハネス10世(在914-928)になりました。獄中死した悲しい教皇・・・

はい、お待たせ、モザイクです。アプスに見られる壮大な構成。何世紀にも渡って少しずつ付け足されたものです。まず中心に両手を広げて立つ人物が聖アポリナリス、初代ラヴェンナ司教で町の守護聖人でもあります。その両隣に6匹ずつ、計12匹の羊達。木々は手前に小さく、後方に大きく描かれています。その上に見えるさらに3匹の羊。これはキリストの変容の場面ででてくるペテロ、ヨハネ、ヤコブをあらわします。
大きな十字の左右には二人の預言者モーゼとエリヤがいます。さらに上部にはキリストを中心に4人の福音記者がシンボルであらわされています。
この構図の両サイドには棕櫚の木が描かれそれらの下には大天使ミカエルとガブリエルがいます。

下段、窓に挟まれて描かれたかつてのラヴェンナ司教が描かれています。これらを6世紀から12世紀にかけてせっせと作られた結果なのですが、これが私にとってはやっぱりフシギなのです。
私はフィレンツェですので芸術の華が咲くのはルネサンスです。ま、ゴシックも入れるとしても13世紀~18世紀としてゴシック、ルネサンス、バロックと。これが混在する教会の絵はどうにも気持ちの悪いものです。ところがこの教会のアプスは協調がとられています。それはどの部分も出しゃばらず、穏やかな表現になっているのです。
まだまだラヴェンナ、続きます。
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