みなさん、こんばんは
昨日予告した通り、ヴァザーリの回廊を少しずつご紹介していきたいと思います。

1560年、ウフィツィ美術館が作られ、その後コジモ一世の息子のフランチェスコ一世(Francesco I de' Medici 1541-1587)とジョヴァンナ・ダウストリア(Giovanna d'Austria 1547-1578)の結婚に伴い、この廊下が1565年に作られました。

約1キロメートルに及ぶこの廊下はメディチ家の人々がピッティ宮とヴェッキオ宮殿を行き来するための通路となります。下の道路を歩かなくても、天候に関係なくアルノ川を渡ることができたんですね。

このツアーはウフィツィ美術館の中から始まり、ピッティ宮への一方通行となります。
参加者は一緒に移動することになり、係員が必ずついて回ります。予約された時間に集まる場所はここ。

この扉の前に係員が待機していて、開けてくれます。間違えて扉を勝手に開けてしまうと防犯ブザーが発動されます。

ちなみに隣の25室は以前ミケランジェロの『聖家族』が置かれていた場所です。その隣にある角っこの窓からはアルノ川にかかる橋が見え、『これからあの橋の上の廊下をあるくんだぁー』と感慨深くなってしまいます。

重厚な扉が開くと回廊への道が始まります。
以前は廊下内の写真が厳禁だったため、私も今回初めて撮る画像です。
実はこの廊下、フィレンツェがイタリア王国の首都だった際(1866年)には公共道路として使われたこともあるそうな。

第二次世界大戦時期とアルノ川の氾濫(1966年)と美術品展示としての機能を失われることもありましたが、人々の記憶に一番近い事件としては1993年5月27日の爆弾テロでした。

5月26日から27日にかけての夜中(25時ごろ)、ウフィツィ美術館近く(via dei Georgofili)で車の中に爆弾を仕掛けたマフィアによって起きた惨事。爆発は相当なものでした。

この爆発によって5人の方が亡くなり、50人近くが重軽傷を負いました。
5人の犠牲者は39歳からわずか生後50日の赤ちゃんまでいました。
このテロにより、ウフィツィ美術館建物自体も被害を受けましたが、美術品も被害に遭いました。
扉を降りて中腹左側に掲げられる絵はその時のことを忘れないためにわざと修復されずに展示されています。是非回廊に訪れた際には必ず見てください。

ちなみにその絵はヘラルド・ファン・ホントホルスト(Gerard van Honthorst, 1592-1656)というオランダの画家による『牧者の礼拝(L'adorazione dei Pastori)』 です。ホントホルストはイタリア語名でゲラルド・デッラ・ノッテ(Gherardo della Notte)と言いまして、前回のウフィツィ美術館で、企画として特別展示をされていましたね。絵を見てわかる通り光と影をうまく使用しています。これはイタリアにてカラヴァッジョに深く影響を受けた証ですね。

なお、それを切手にしたこともありました。
続きは次回。
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