みなさん、こんばんは
名古屋に来て驚いたこと。
気のせいか、トヨタの車が多い。赤信号で止まるとトヨタマークがやったら目立つ。
さすが愛知県といったところか。
以前はトヨタ車以外だと駐車場が建物より遠い場所にあったり、トヨタ車をこよなく愛する名古屋市民。

折角なので、『トヨタ産業技術記念館』に行ってきました。
トヨタグループ創始者、豊田佐吉が1911年に設立した旧・豊田自動織布工場の建物を産業遺産として保存・公開するとともに、トヨタグループが携わってきた繊維機械と自動車をとおして日本の産業技術の変遷を紹介するためにトヨタ自動車創業者、豊田喜一郎の生誕100年を記念して1994年6月11日に設立されたものです。

1911年、豊田自動織布工場がこの記念館の地に建ったのですね。トヨタは豊田市でできたものではなかったとちょっとびっくり。

1914年、豊田自動紡織工場へ改称
発明した織機の機構・装置の正確な評価試験のためには、良質な糸が必要と痛感し、1914年紡績工場を併設。当初、紡績六千錘程の小規模では失敗すると懸念されましたが、第一次世界大戦ぼっぱつによって好景気に恵まれ、規模は飛躍的に拡大していきました。

1918年、トヨタ紡織株式会社に改組
個人経営では円滑に運営できないほど対規模になり、1918年、資本金500万円で豊田紡績株式会社に改組しました。当時の設備は紡織三万四千錘、織機一千台であり、従業員は一千人に上ったそうです。
では、なぜ紡織会社のトヨタが車産業に乗り込んだのか。

豊田喜一郎は1894年、現在の静岡県湖西市に豊田佐吉の長男として誕生しました。

生家。意外と地味で時代を感じさせます。

1920年、喜一郎は東京帝国大学を卒業し、豊田紡績(株)に入社します。
(注)この写真、〇で囲まれているのが喜一郎。お休みしていた左上の彼ではございません。

1921年、喜一郎はさらに紡織技術の視察のために欧米へ出発しました。
NYを訪れた喜一郎は車社会のアメリカにすっかり驚いてしまいます。

当時の日本は国産メーカーがゼロ。このままではフォード、GM、クライスラー社の独占市場になってしまう。喜一郎は危機感を感じ、自動車を作ることを決意します。
そんなトヨタの苦労と努力、現在に至るまでのものがこの記念館にあり、私本当に楽しみました。
おかげで近所にある『ノリタケの森(100年の歴史をもつノリタケのミュージアム)』まで観る熱量がすっかり無くなってしまい、共通券は次回使うことにしました。トヨタとノリタケは各500円の入場料がかかりますが、共通券ですと800円なんです。しかも期限がないなんて素敵だ。
名古屋、太っ腹!
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