みなさん、こんばんは
昨日の続きをしたいと思います。
前回のお話は、『
トヨタと名古屋』からどうぞ。

『トヨタ産業技術記念館』を訪れた私。以前は『トヨダ』と濁って発音していたものがのちに『トヨタ』になったということなど、知らないものをいろいろ教えてもらいました。

のちにトヨタは様々な会社をつくり、トヨタグループとして今でも日本の中核として動いていますが・・・

子供が遊べるゾーンあり、軽食を食べられる場所など、この施設は本当に一日いてもいいくらい充実しています。

お、なぜかロボット。

実はこのロボットは演奏を一日三回演奏してくれるのですね。
指が微妙なタッチで細かく動くだけでなく、前述の写真左のロボットのように『吹く』動作などもできる、素晴らしいんです。
さて、前回の続き。
発明家豊田佐吉の長男、喜一郎は父親の影響を受けて紡織機械の技術者になりますが、次第に自動車の重要性を認識していきます。そして『自分たちの手で自動車事業を興す』という夢に向かい、1933年豊田自動織機製作所内に自動車部を立ち上げわずか5年で自動車生産に必要なすべてを備えた一貫生産工場を完成させます。

まず、試作品としてエンジンを自転車につけることにします。外来物を真似て作ってみたようです。

ところが当時決して大きな会社とはいえないトヨタは費用を捻出するために1929年、プラット社にG型自動織機の特許を譲渡します。
当時の金額で100万円。現在だと12億円くらいになるそうです。自動織機としては世界でも指折りの会社だったトヨタはここで大きく勝負に出たのかもしれません。

さらに当時の外来車を完全に分解してその構造を学びます。当時の車は日本で120万円ほど。一般人には高嶺の花だった車を分解するなんてとんでもないことを試みたのですね。
さらに技術者は紡織機械のエンジニア。車など作ったこともありません、彼らの試みは周りの人から見たら嘲笑されるような行為だったのです。

材料を調べてより良いものを、強度のある車を作ろうとします。

その試みはとても困難なものでした。
そしていよいよボディーの試作が完成するのです。
今日はここまで。次回はそこから現在に至るまでの経緯についてお話します。
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