みなさん、おはようございます。

今日は名古屋城にある本丸御殿についてお話ししたいと思います。
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『
金のシャチホコ』
『
徳川名古屋城』
かつて名古屋城の本丸には天守閣の南側に本丸御殿がありました。

【1933年ごろの名古屋城】
勇壮な天守閣と優美な御殿が並び建つことで、名古屋城は城郭建築としての風格を形成しており、1930年(昭和5年)に国宝に指定されましたが、1945年(昭和20年)5月、空襲により天守閣、本丸御殿ともに焼失してしまいました。
尾張藩主の住まいとして徳川家康の命により、1615年(慶長20年)に建てられました。1634年(寛永11年)には将軍のお成御殿として上洛殿が増築され、格式高い御殿として知られていました。第二次世界大戦による全焼後、名古屋市は2009年1月から本丸御殿の復元に着手し、平成25年5月には入り口にある玄関、謁見の場である表書院などの公開を開始しました。
本丸御殿の復元にあたっては、主要な木材に木曽桧を使用するとともに、継手・仕口よりも木材を組み立てる伝統工芸を使用しています。また障壁画についても、狩野派の絵師たちが用いた技法や素材を分析し、復元模写により当初の色彩を再現しています。
復元された建物と色鮮やかな障壁画、そして金色に輝く飾金具があいまって、400年前の壮大な空間がよみがえります。
まず、この復元された本丸御殿には傘を傘立てに、靴を脱いで靴箱へ、荷物もロッカーに預けて(100円払いますが、戻ってきます)カメラだけもって歩いて回ることになります。写真はフラッシュ禁止ですができます。桧の香りがめちゃくちゃいいのですが、スタッフがすごく多くてびっくり。
車寄(くるまよせ)
将軍など正規の来客だけが上がる、本丸御殿への正式な入り口です。唐破風(からはふ)屋根をいただく堂々とした外観で、本丸御殿の中でも最も太い柱が使われているそう。

玄関は、将軍など正規の来客がまず通される建物で、床(とこ)や違棚(ちがいだな)が備えられていました。

周囲の壁や襖には勇敢な虎が描かれ、訪問者を驚かせてました。

続く大廊下は、玄関と奥を結ぶ重要な通路で、幅は約3間(約6M)にも及びます。
表書院(おもてしょいん)
江戸時代は広間と呼ばれ、藩主と来客や家臣との公的な謁見に用いられました。一番奥に位置する上段之間は床(とこ)や付書院(つけしょいん)を備えるとともに、床(ゆか)も一段高くしており、藩主や重要な来客の座として使われました。

美しくないですか!?
狩野貞信や狩野探幽など日本画史上最大の画派「狩野派」の絵師たちにより、部屋ごとに異なる題材で床の間絵、襖絵などが描かれ、絢爛豪華に彩られていました。

戦災により本丸御殿は失われましたが、取り外すことができた襖絵や天井板絵などは焼失を免れ、今も大切に保管されています。そのうちの1,047面が国の重要文化財の指定を受けています。

写真左奥に絵が全くない3枚の壁が見えますが、これは何か(忘れた・・・)の入り口だったそう。ですからここだけ不自然なんですね。

ここにある照明は当時の明かりに近づけるためだそうです。電気ですが、火を使った明かりの時代を味わうことができるんです。

これら豪華絢爛な障子や壁がもう素晴らしくって!

椅子があったらしばらく眺めていたくなります。
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