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『
金のシャチホコ』
『
徳川名古屋城』
『
名古屋城、本丸御殿』
今日は、やーっと名古屋城・天守閣の話です。

天守は城郭の本丸に建ち、最も中心となる施設です。名古屋城の築城が開始された1610年(慶長15年)ごろにはすでに戦乱の世は終わろうとしていました。政庁と居館機能は本丸御殿に分担され、天守は戦闘施設よりも権威の象徴となっていきました。
一方で、大阪城の豊臣家との実践も想定していて、五層五階、厳重な防御施設を備えた、日本最大級の天守が築かれました。

1930年(昭和5年)には国宝(城郭としては日本初)に指定されましたが、昭和20年の空襲で焼失しました。現在の天守は昭和34年に鉄骨鉄筋コンクリート造で外観復元されたものです。

最上階まで行って、下に降りていくと各階でいろんな展示物があります。

上にはエレベータで行けるから楽ちんですね。

最上階は展望のみとなっています。

そこからみる風景は見事なものでした。

私は3階の城下町の暮らしを紹介したものがとても楽しめました。
城下町と堀川の一日の変化を光と音により6分間隔であらわすものです。
24時間を6分にまとめて夜明けから日没、夜に明かりを変化させます。

ここは『自身番』。各町内の警備のために設けられました。火の番にもあたっています。初めは地主達自身が番をしましたが、のち雇人に任せるようになりました。

『武具屋』。古い武器など甲冑、馬具をはじめ、古銅の水盤や床の飾り物、手あぶりなども売っていました。槍などは軒先に数十本かけていました。

『本屋』。江戸、京都、大阪に次ぐ出版活動がおこなわれていましたが、中でも風月孫助(風月堂)や永楽屋東四郎が名古屋の本屋として知られます。江戸時代後期には江戸の大店と肩を並べるほどの規模となっていました。「古事記伝」(本居宣長著)や「北斎漫画」(葛飾北斎著)などの刊行がその隆盛を物語っています。

『女乗物』。『かご』と通称されますが、江戸時代は女乗物と言いました。前後3人ずつ、計6人で担ぎます。
女乗物は身分によって装飾方法が異なります。このように黒漆で塗り、金の蒔絵で飾り家紋を入れたものは最上級に位置づけられ、大名家の子女の婚礼衣装として製作されました。なお男乗物は、将軍用でも飾りはなく質素だったそうです。

大名家の食事なども再現されています。

大名家の『台所』。藩主に供される食事は、御膳所や台所で調理され、配膳されます。台所には篭の大小が並び奥の棚には調理具や食器などの配膳具が整理され置かれています。台所と藩主が食事をする場所がかなり離れているために、藩主は暖かい料理を味わうことができませんでした。

『御用部屋』。藩の政務などをおこなう部屋です。
こういう再現って、一般人にはとてもわかりやすいし、お子さんがいる人たちも楽しめるのではないですかね。
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