みなさん、こんばんは
高台から望むこの素晴らしいトスカーナの景色を見に来ました。
どーよ!!
ここはモンタルチーノ。これが目当てでこの要塞を訪れました。
モンタルチーノというとシエナ県にあるブルネッロ・ディ・モンタルチーノというトスカーナのワインの王様で有名ですが、ひどく公共機関を使って行きにくい場所にあります。これだけ世界的に有名なワインに会いに沢山のワインラバーを惹きつける町でも、決してペロッと行けるところではないのです。
日本だったら町おこしの様に、バスを主要都市から走らせてくれるだろうに。
その直行バスもシエナからなら何とか叶うというものですが、フィレンツェからだとムリ。普通の観光客にはかなりハードルが高くて困ってしまいますね。
そもそもモンタルチーノはよく私が紹介するシエナやサンジミと同じくフランチージェナの巡礼街道が通る町でした。イギリス・カンタベリーから始まり、フランスに渡ってからのスイス、イタリアに入りローマへ巡礼に使われる非常にアンティークな街道。勿論巡礼者だけでなく当時は商人など様々な人が利用しそれぞれの町は宿場町として発展を遂げます。
シエナ共和国は教皇派(グエルフィ)でフィレンツェのフィレンツェ共和国は皇帝派(ギベルティ)として中世の頃から激しいライバル心をむき出しにしてきましたが、その最終章を迎えることになった16世紀半ば・・・
神聖ローマ皇帝カール5世、メディチ家のコジモ1世側にシエナが降伏します。それでも一部のシエナ共和国の人たちはモンタルチーノに逃れ何とか国の存続を望んだもののその思いは叶わずフィレンツェは1559年のカトー・カンブレジ条約で公式にシエナを手に入れました。
約70年に及ぶイタリア戦争はこの条約で完結します。近隣諸国がイタリアの覇権を狙って取り合いになった結果はフランスのボロ負けとスペイン・オーストリアの勝ちということで一段落つくのでした。
最後まで抵抗したシエナ人の想いが詰まったのがこの優雅なワインの名産地なのです。
彼らにはこのワイン、しょっぱいんだろうなぁ・・・
さて、この要塞ですが、1381年に作られ、翌世紀には城壁の一部になり塔が付けられます。
これらの歴史と共に現在もその姿を残しています。
要塞の内部に入るとガランとしていますが、エノテカが何故か営業しているのです。画像の真ん中あたりね。
ちなみにこの内部、イベントなどが行われたりします。
さて、エノテカの中でチケット4ユーロを支払い、階段を上って要塞の上を一周してみませんか?
過去のシエナ人に思いを馳せて・・・モンタルチーノはブルネッロだけではないというモンタルチーノ人の声が聞こえてきそうです。
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