みなさん、こんばんは
さ、昨日の続きです。
ジョバンニ・バッティスタ・ジョルジーニ(Forte dei Marmi1898-Firenze1971)という人は、ルッカの貴族の家系に生まれた実業家です。
バリバリのやり手で、第二次世界大戦前後にもアメリカ・カナダにイタリア製品を売るなど、自分のルートを駆使して上手く商売していたという点だけでも私はちょっと憧れちゃいますね。
大体アメリカとイタリアって敵対国だった時代。凄すぎる・・・
パリがファッションの中心として動いていたその波を使って、フィレンツェでイタリア初のファッションショーを行ったのは1951年。日本だって戦後のゴタゴタだったはずなのに・・・衣食住の中で『衣』に目を付けてっていう発想が斬新だと思いませんか?しかもファッション、モードですよ。
その初のファッションショーは1951年2月12日、フィレンツェの彼の自宅(Villa Torriggiani)で行われました。6人のアメリカ人のお得意様に対するものでのちにそれが今となっては3万人ものプレスやバイヤーを集めるピッティ・イマジネに通じると思うと彼のやったことがどれだけ大きな歴史を切り開いたのかよくわかりますね。
次のファッションショーはグランド・ホテルにて。
それ以降は毎年1月と7月にピッティ宮殿のSala Bianca(白の間)で行われようになります。今のパラティーナ美術館に行くと時々特別展示会などにも使われる場所ですね。画像は初めてピッティ宮殿、白の間で行われたファッションショーです。
そんな彼はフィレンツェで1971年に亡くなりますが、確実にモーダの足跡をフィレンツェにつけた張本人です。今もお墓はフィレンツェにあります。
さて、ここからは現在までの歩みを明日。
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