みなさん、こんばんは
シエナの菩提樹。
ちなみに今日のお話とは全く関係ない。浅くて深い話をします。
伊達男のラウールが愛煙家の私に言った。『そんなにタバコ吸っていたら長生きできないよ』
私の体を心配して言ってくれた事は間違いない。彼は数年前にタバコを止めて、葉巻に変えている。
『あのね、ラウール…』、どう言ったらわかるかなと思って、ちょっと考えて私はこう言った。
『人生ってね、長さじゃないと思うの。人生ってクオリティだと思うんだ』ちょっと言葉が足りないかなと、分かるように付け加える事にした。
『みんなあなたのように言うけど、そんなに悪いことなら違法にすればいいって。だったら速攻で止める。でも私は毎日楽しく生きたいから、やりたいことをやっていたいの。それで長生きできないならそれでもいいと思っているの』
さらにこう説明した。
私は体にいいものを食べようとか思っていなくって、体が欲したものを与える。肉が食べたいなら食べる。野菜が食べたいって体が言ったらそれを食べる。カロリー計算とかも知らないし、栄養素なんてわからない。でも食べたいもの=体が欲しているもの=ストレスを感じない生活という方程式がいつもある。
仕事についても、1日24時間あるわけで、うち8時間働く、8時間寝る、8時間が余暇。人生の3分の1が労働なのに『嫌だ』とか『しんどい』って辛いと思う。私の人生には考えられない。だとしたら、楽しんで働きたい。日本でもそうやって働いていたし、ここでも同じスタンスだが、人生を楽しむという意味ではイタリア生活は私の哲学にバッチリ合う。このチョイスをした私の幸運は事実なのだ。
他の人より持っていないものも沢山ある。結婚もしなかったし、子供も産めないけどこれは自分で選んだこと。それに対して文句が言えるのは私が誰よりも大切な母ぐらい。少なくとも誰かに迷惑をかけて空気を吸っているつもりはない。高価なジュエリーやブランド物も持っていないけど全く困らない。小さな家と生活できる収入とわずかな友達と言える仲間。これで十分だと思っている。
言った本人は覚えていないだろうけど、何年経っても忘れられない言葉を私に投げかえた人がいた。
『いいわよねー、結婚しないで子供もいなくって自分の時間がガッツリあって』
…驚いた。自分が選んだ人生を棚に上げて、人の選んだ人生を羨ましがるのは筋が違う。例え嫌味で言ったとしても同じことだ。私は自分が器用でないことをわかっているからこそ、順位を決めて生きた結果がここにあるのに。言い返す気分にもならず、そこはグッと黙ってその話を放置した。
最近思う、私の生き方が間違いだとしても、私は責任を持って生きている。しかも後悔しないように、毎日楽しく今日も生きることができたと胸を張って自分の人生を全うするつもりだ。それがタバコは悪いとか酒はダメだとか余計なお世話だ。例え明日亡くなってもいい人生だと心から思えるし、『こうしとけば良かった』などとは思わない。全ては自分が蒔いた種だ。
年端の日本人に言われた『人生はクオリティ』と言われたラウールにはこの言葉が胸に刺さったようで、ちょいちょいその話になる。私が守りたいものと言えば市場の店ぐらいなものだ。それでも健康も何も考えず、自分らしく生きるという今の時代でも難しいだろうことをここ数年実践できるようになった。私が思う人生の理想の完成形にほぼ近づきつつあるのにな。
菩提樹の花はもうすぐ咲き始めるだろう。そして芳醇な香りが人々を包むのでしょう。
そんな花言葉は『結婚、夫婦愛』という私に不釣り合いな樹である。その香りを待ち遠しく、またシエナに行くことになる。
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