みなさん、こんばんは
昨日の続きというか補足というか、もう少し話させてもらう。
私はイタリアに住もうと思って日本からやってきた。渡伊に対して大反対の両親を説得するのは難儀なことで、それに費やした時間は10年。初志貫徹を許さなかった頑固な私と、これまた頑固な両親との和解は途方もない時間を要した。だからこそ折れてくれた両親のためにも絶対失敗できないと奮起したお陰で現在の私がいる。だとしたら私が両親に感謝以外の何物も持っていないのは当たり前だ。
当初そんな両親に自分の中でけじめをつけて、勝手に2つのノルマを課した。
まず、3年のうちに自力で生活するということ。もちろん親の融資や援助などは全くなかったが、許してくれた以上に私が何かを親に望むのは贅沢というもの。だから貯金を切り崩して生活する期間は学生時代のみにして、早く仕事を見つけて生活することをしなければと。幸運にも仕事は見つかり生活は安定した。その辺の件も面白いのだが、ここでは軽く触れるのみにしておく。
もう一つは、一時帰国をした時に、家族・友人から『ナギ、変わったね』と言われたら潔く日本に帰ろうと。
変わるというのは悪い方への意味で、以前持っていた私のいい所が無くなってしまったとかの意味で捉えてもらいたい。
子供の頃から良くも悪くも感化されやすい性格だった。変な感じでイタリアに染まるのではないかと不安だった家族・友人へ払拭させる事が必要だと思っていた。そして、だからこそ『ナギはどこにいても全然変わらないね』と言われるのが褒め言葉だと思っていた。市場で働き始めた頃からのお客様も『全然変わらないねぇ』と言われる。それも嬉しい。
そんな私が同僚に『私は典型的な日本人じゃないから、私を基準に日本人のレッテルは貼らないでね』とよく言うのだが、今ではガイド仲間の同僚達から逆に『ナギは日本人っぽくない』と言われる。『ナギはもうイタリア人だよね』とも言われる。以上の点から私は昔から日本人っぽくなかったのかも知れない。勿論こちらで学んだ人生のヒントは吸収しつつ、自分らしく成長していきたい。根本は何もブレてはいないのだ。まだまだ至らないところは沢山あるし、時々自分に疲れることもある。それでも少しずつ修正しながら自分らしさを失わずに生きていこうと常に思っている。
哲学は寒い地域で進化し発展すると聞いた事がある。家の中に常時いる事で悶々といろんな事を考えるからだそう。ところが私に限っては夏の暑い時期にこのようなことを考える事が多い。特に海に行くと友人とこんな事を炎天下の中寝転んで話すのが大好きだ。
既にイタリア生活は私の人生の3分の1を占めている。拠点をフィレンツェを選んだのはたまたま偶然だったのだが、ラッキーなことに幸せに生きている。自分らしさを忘れず楽しく毎日を過ごしたい。
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