みなさん、こんばんは
ピサでーす。今日は天気いい!でもちょっと寒かったね。ここに来る観光客の方々は初めての方が殆どで、例え2回目だったとしても前回行ったのが20年前とか薄ーくなった記憶を裏書きするような感じかもしれない。でも絶対前回の光景忘れているよね。
そんなこんなでフィレンツェに戻ってきた。所用のため急ぐ先にはガリレオのお墓があるの。ピサと言えばガレリオ・ガリレイ。勿論斜塔目当てでピサに行ってもガイドさんは大抵ガリレオの話もする事が多い。私もそれに漏れずちょいちょい小噺を挟んで楽しく旅行を盛り上げる。だとしたら一応お墓参りして『いつもお世話になっております』と一声掛けなければ失礼になるんじゃないかって。
で、用事を終えた後に到着したのはサンタ・クローチェ教会。しっかりファザードが下まで見えないのは手前に屋台の行列があるから。そう、毎年恒例のクリスマスマーケットです。この件に関してはそのうち紹介するとして、まずはお墓参り♪
ここがフィレンツェのパンテオンと呼ばれる教会の内部。天井が非常に高く、ものすごく開放的。私は個人的にルネサンスよりもゴシックやビザンチンが好きなのでここはそんな見所も沢山ある。
はい。これがガリレオさんのお墓どす。ガリレオ・ガリレイ。16〜17世紀に生きた世界的に有名な天文学者、物理学者そして哲学者。昔の人は一つに長けたというわけでなくダ・ヴィンチしかりなーんでもできたのよね。あの時代ってこんな人がボコボコいた訳だからイタリアっちゃ奥が深い。特に有名な異端裁判でカトリックが天動説を推す中で地動説を唱えたガリレオ。地球を中心に天体が廻っているんじゃない、地球は太陽を中心に動く他の天体と同じだというタブーのために始め無期刑、その後軽減されフィレンツェの郊外で軟禁生活を余儀なくされた。そんな彼が死後、カトリック信者として教会に入ることを許されなかった。長い歳月をかけてローマ教皇からこの教会に埋葬されるのを許されたのはメディチ家の庇護にあったからである。トスカーナ大公フェルディナンド1世の息子であるのちのコジモ2世の家庭教師をしていた縁が功を奏した。
敬虔なカトリック教徒であったガリレオは教会の意見と合わない説のため波乱の人生を送った。そして今となっては誰もが知る宇宙のつくりを発見したガリレオの運命は晩年非常に悲しいものであった。享年77歳。ローマ教皇庁がガリレオに謝罪したのはわずか30年前の私が敬愛するヨハネ・パウロ2世(第264代ローマ教皇)によってである。
彼は晩年を過ごした際の修道女になった実娘と弟子とともにここに眠る。日本人らしく合掌、そして何故か十字を切った。
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