みなさん、こんばんは
今朝の中央市場でーす。露店があると写真が撮りにくいので、いつもは仕事終わりの画像を使っていましたが、ちょっと違った市場を見てもらいます。現在は日の出が7時40分だから市場が開いてもこの暗さなのよ。しかし今日は寒かった。日頃カイロを使わない私も足裏と背中にカイロを貼って、雨も降ったので嬉しい長靴を履いて。長靴ってあったかいんですよね。靴下は厚手を2枚重ねて使った。ここまでやれば寒くない。市場は底冷えが大敵。
さて、
一昨日からサンタクローチェを紹介していますが、今日はそのお送りできなかった残りの部分を。そもそも仕事の用件もありここに来た。ガリレオのお墓参りも兼ねて立ち寄ったサンタクローチェ教会。ガイドでよかったなぁと思うとき、それは入場料なしでどこでも気軽に入れる事。だから必要を感じなくてもライセンスは常に持ち歩いている。そう思うとガイドさんを職にしなくても免許を持つとこんな特典があるんだ。私にとっては簡単なことではなかったけれども…
ルネサンス三大芸術家といえば、ミケランジェロ、ラファエロ、ダヴィンチだが、アーティストという意味ではもっと範囲は広くなり、音楽家やその楽器を作る人、料理人だって芸術家だ。特にルネサンス時代の画家・彫刻家などは誰がトップ3なんて言えるものかと思う。あの時代の限りない数ある天才たち。その作品をこの小さな街フィレンツェに見ることができる、本物を間近で観れるのは大きな喜びであり当たり前に感じてはいけないのかもしれない。それでもガリレオ先生に挨拶して、お向かいにあるミケちゃんのお墓を袖にしたら夢に機嫌を損なったミケちゃんが怒った顔で出てくるかもしれない。ここはこちらもお世話になっているわけだから挨拶くらいはしておこうと立ち寄ってみる。88歳まで生きた巨匠はローマで亡くなったが、遺言叶い遺体はフィレンツェに戻ってきた。ミケちゃんが亡くなった年、ガリレオが生まれている。1564年。不思議な因果を感じつつこちらの巨匠にも合掌アーンド十字。ちなみに1564年とは日本は戦国時代、上杉謙信と武田信玄が戦った川中島の戦いの終了した年でもある。
その他たくさんのお墓参りをしつつ主祭壇あたりまで来て、ジョットの名作にも挨拶していこうと思った。
13〜14世紀に生きたこちらも有名人だ。フィレンツェのドゥオモの建築にも携わったこちらも天才だが、天才って言葉を乱発するとどうしても安く感じてしまうが、それでも言いたくなるくらいあの時代から数々の巨匠によってフィレンツェの美しさが作られてきた。年間の観光者数1000万人を超えるフィレンツェの魅力を何百年にも渡って構築したのは彼ら過去の偉人のお陰に他ならない。
そんなんで、ぺろっと寄ろうと思った私の思惑は外れ、あちらにこちらに挨拶ですっかり時間が経ってしまった。いかん、いかんと思いつつ出口まで差し掛かったところで『あっ!』。
ここまで来たらナイチンゲールの記念碑にも挨拶しておこうと。両親が新婚旅行中、フィレンツェで生まれたイギリス人のナイチンゲール(1820~1910)はフィレンツェの英語名であるフローレンスと名付けられた。このお話は遥か昔のブログで記事にしたのだがちょっと触れておこうと思う。子供の頃、伝記書などで紹介された彼女の名前は一体今の日本ではどのくらいの知名度なのかも分からないし、生まれたのがたまたまフィレンツェだったと言えばそれまでなのだが、旅先で亡くなることを『客死』と言うなら、彼女は『客生』であり、両親は心を込めてその土地の名前を娘につけた。それは決してこの街、この国が不快だったらやらない行為。縁とはこう言うことなのかもしれない。
出口のそばにある小さな記念碑。私が子供の頃に知った看護婦さんは今、私が生きる場所に足跡を残している。
まじまじと感じ時間を超えた人たちとの出会い。彼らと年の瀬を感じつつ私のガリレオに始まったサンタクローチェ教会のお邪魔がようやく終わった。
※フリジョナイア、ディヴァイラのオリーブオイル発送はこちらで、サンレオのオリーブオイルはこちらでチェックしてね。
ブログランキングに参加しております。下の応援クリック2つともして頂けたらありがたいです。