みなさん、こんばんは
クリスマスが終わりまったりしています。
で、はっと気づいた。私の年末恒例行事、断捨離マンスはあと一週間で終わってしまうことを。今年もガッツリ捨てさせていただきましたが、この12月に入ってちょっと捨てられないけどやっぱり捨てようと思ったものの紹介です。
置き時計。目覚まし時計とも言う。
たまたま日本に帰った時に、実家にあった両親の寝室にあった置き時計を宣言のもと盗んできました。
かれこれ15年ほど前のことです。当時、私が時計も買えないほど貧乏だったと言うことです。いや、買おうと思えば買えたのかもしれない。でもなぜか私はこの時計を実家で見つけて『家に時計ないから貰うね〜』とイタリアまで持って帰ってしまったんです。見てわかる通り、1000円くらいかな?決して高価なものではない。その頃の私が時計を持ち帰った理由は今となってはわからないが、意図せずして家族の繋がりを自分の家に置きたいと思ったのかもしれない。
安物の置き時計は間も無く秒針が勝手に取れた後しばらく長生きして、4年ほど前、完全に動かなくなってしまった。ものをすぐ捨てたがる私にしては随分手元に置いてあった訳だ。この時計をここ数年見るたびにちょっとした後悔の念が過ぎる。それは親不孝だった両親への想い。
健在の母には何かできることもあるかもしれないが、亡き父にはやりたくても何もできない。私はこの後悔を在イタリアの友人に伝えることが多い。『うちは両親とも元気だから』などと言っていると、やばいパターンだと思う。まさに私に起きたことであり、両親が亡くなってからの親孝行は親孝行ではないからだ。父がまだ元気だった頃に今までの感謝の言葉を照れくさくって伝えられなかったのが一番私にとって悔しいことで、それを学んだ分、母には毎度伝えることで自分のバランスを何とか取っている状態。
あの15年前、私が時計を持っていくと言った時、父はどう思ったのだろう?嬉しいと思ったのか、情けないと感じたのか?父と母と私の共通の出来事を話す時、母はとても嬉しそうな声で返事をしてくれる。未だにもっと早くからそう言うことを父にもやっておけば良かったなって。そんなことをこの一ヶ月時計を見るたびに懐かしく思い、明朝さよならします。母も実家で父の遺物をどんどん捨てているので流石に私だけ父から怒られる事はないだろう。
ありがとう。
※2019~20年:年末年始 中央市場地上階のオープン時間はこちらから。
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