みなさん、こんばんは
お待たせしました。
君主の礼拝堂を訪れたところまでお話ししましたが、重厚で壮大でした。
みんな上ばかり見ているけど、床も凝っていてお洒落です。
さ、新製具室にいきましょう。
ところでメディチ家出身の最初のローマ法王はレオ10世(第217代:在位1513ー1521)である。レオ10世はロレンツォ豪華王の息子である。彼は新製具室欲しいなぁと思った。『新』というくらいだから勿論『旧』もある。旧製具室はサン・ロレンツォ聖堂の中にあるもので、15世紀前半ドナテッロとブルネッレスキのマブダチコンビによって作られた。メディチ家出身の法王クレメンス7世(第219代:在位1523ー34)は1520年、ミケランジェロに依頼をした。クレメンス7世はバッツィ家の陰謀(1478)で暗殺されたジュリアーノ・デ・メディチの遺児である。ミケちゃんはそもそも若かりし頃からメディチ家とのつながりはあったが、レオ10世が亡くなった(1521)後にちょっと対立関係になってしまう。よってある意味渋々受け入れたのかもしれない。それはクレメンス7世が法王に選出された後のことである。再びミケちゃんは作業を再開するがローマ略奪(1527)などの波乱な中、どんな気持ちで作業していたのか想像してみる。そしてクレメンス7世が亡くなる(1534)と、とっとと未完成でローマに行ってしまった。よって、仕上げたのはそのかなり後で当時のフィレンツェ大公であったコジモ1世の命でヴァザーリとアンマンナーティが1555ー1559年頃に仕上げた。余談だが1555年はフィレンツェがシエナを征服した時である。
ロレンツォ豪華王と実弟ジュリアーノ・デ・メディチの墓。よってレオ10世とクレメンス7世は従兄弟なんですね。
真ん中の聖母子像はミケちゃんがここでまず手掛けた(1521)作品だ。私はベタにサン・ピエトロ寺院にある彼のピエタを見たときに度肝を抜かれて大好きな作品の一つだが、この像も好きなんだよね。兄弟で仲良く眠っているが、ジュリアーノが殺された時のロレンツォ豪華王の悲しみとパッツィ家らへの怒りと言ったら文字で表わせられない。両サイドは弟子の作品で聖コスマスと聖ダミアヌスの双子像。二人の聖人はメディチ家の守護聖人としても知られているが、一般的には医師や薬剤師の守護聖人でもある。メディチ家はそもそも薬剤師だったとか言われているが、この家系の栄華は老コジモの父、ジョヴァンニが裕福な銀行家だったことから始まった。
さらに別の壁側には向き合うように二つのお墓が存在する。こちらは現在修復中です。
ウルビーノ公ロレンツォ・デ・メディチの墓。彼はロレンツォ豪華王の孫で、20歳代半ばでこの世を去った。左右にある男性像は『黄昏』、女性像は『曙』と名付けられている。ミケちゃんがローマにバックレる直前の作品(1531ー1533)。
こちらはヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチのお墓。彼はロレンツォ豪華王の息子である。整理すると、ロレンツォ豪華王の長男ピエロはウルビーノ公ロレンツォの父、次男はレオ10世、でヌムール公ジュリアーノが三男となる。さ、混乱してきましたでしょうか?
左右にある像、向かって左の女性像が『夜』、右の男性像が『昼』となる。
天井は1900年前に作られたローマのパンテオンからインスピレーションを受けたもの。パンテオンってフィレンツェのドゥオモのクーポラにも影響を与えていることを考えるとすごい建築物なのだと感慨深い。そんなメディチ家礼拝堂でした。
9ユーロでこんなのボコボコ見れるって愉快。大きな混雑はないと思うので、是非行ってみては?
ローマ略奪や旧製具室については機会を作ってお話ししたいと考えています。
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