みなさん、こんばんは
まず、このタイミングで私は自分のことについて書いてみたくなりました。
それは私が振り返りたかったのが一番かも知れません。よく聞かれるんですよ、私の人生についてどうしてイタリアに行ったのかとか何でガイドをやっているのかとかとにかく色々聞かれるんです。そんなに気になるなら一度書き上げて見れば『それ、読んどいてください』の一言ですみますもの。人それぞれだと思いますが、物事なんて一言で説明できるものではなく、生きてきた全ての結論でここにいることを言いたかった。それに前も話しましたが9歳くらいまでの記憶がほとんどないんです。少しだったら思い出せますが、ほぼ無理ですね。で、9歳でわりかし大きな事件があったんです。それからですね、私が変わったのは。その大事件も記憶から長い間封印されていて、ようやく思い出すのは20歳の時です。その時は恐怖しかなかったですね。何でそんなことを忘れてしまっていたのか。それ以降、家族もこの件に全く触れていなかったのも理由だと思います。ある意味タブーだったのかな。その件で両親が私に謝ったのはさらに8年後のことです。
父、は5人兄弟の長男として生まれます。祖父は軍人で満州に行っていました。祖母は看護士さんです。祖父の退役後には茨城県の田舎町で養鶏場を始めます。恐らく貧乏だったのかも知れません。父は弟や妹たちを進学させる為に高校を卒業すると自衛官になりました。朝霞だか練馬の駐屯地に居たと聞いたような。父の次に生まれた男の子は不幸な事故で夭折だった為、基本は6人家族ということですね。そんな父は母とお見合い結婚します。祖母はそれが許せなかったらしくかなり母をいじめました。当時26歳で結婚することは晩婚ともされ母について年増の女というイメージがあったようです。さらに男の子を母が産まなかったことも気に食わなかったらしい。母はそんな祖母との関係を私たち娘には隠そうとしていました。しかし子供と言うのは勘が働くもので私は全く祖母に懐きませんでした。その意地悪婆さんを看取ったのは母だけです。祖母は『ありがとう』といまわの言葉を置いて天に昇りました。母はその一言で全てを許せたそうです。私からしたら母が随分心の広い女だと思っています。
母、も茨城の3人兄弟として生まれます。家具屋の末っ子で一番上の姉は10歳ほど離れていて中学を卒業しただけです。私にとっては伯母に当たります。昔はやはり女に学は必要ない文化だったのかも知れません。後々これで随分馬鹿にされたと言っていました。その伯母は何故か私を異常に大事にしてくれて、いまだに会うと私の顔を見ただけで涙を流す人です。母は高校は卒業しました。世界で一番素晴らしい女性といつも思っているのは母のことです。色々ありましたけど感謝しかないですね。
姉、は年子ですが、早生まれのため学年は二つ違いです。口でも手でも全く勝てない相手で、恐らく器用だったんだと思います。喧嘩はしょっちゅうでこんなに気の合わないのが血を分けた姉だと思うと本当に腹立たしかったです。そんな姉とのベストな距離が日本とイタリアで、それから少し仲良くなりました。今は良好です。破天荒に生きてきた私と真逆で結論親孝行ですね。ちゃんと結婚して子供も産んでくれたから。二人とも私みたいだったら親は可哀想です。同じような環境で育ってこうも人生が変わるのかと思うとやっぱりそのルーツはちゃんと復習しないといけませんね。
私、なぎさは1973年に埼玉県で生まれました。この時代を考えるとピンとくる人もいるかも知れません。オイルショックで個数制限で売られる商品も多かったようです。布おむつで育ったのですが、それを洗う洗剤などがやはりお一人様一本って感じでなかなか苦労したそうです。それでも茨城の実家に帰るとお店でいくらでも買っていいよと言われて随分助かったとか。苦労したんだろうな…
ちなみに私たち姉妹の名前は平仮名です。本当は『渚』と漢字で申請したのですが、当時は常用漢字でない為役所で却下されました。のちにこの漢字が使えるようになった時両親に改名してもいいよって言われました。姉は公用の時以外は漢字を通して使っています。私は全て平仮名で通しています。
初めは埼玉県の朝霞市というところで一家は生活を始めます。それがいつの間にか志木市に引っ越して、さらに中学1年生の終わりに所沢市に引っ越します。それが今の親の終の住処ですね。父のポリシーとして彼は一軒家にこだわりとうとうそれで生涯を全うしました。あと新車にもこだわっていたかな?母は田舎暮らしを毛嫌いしていて、今でもこれからも絶対に嫌だと言っています。所沢は何故か宮本姓が多く、手紙や電話も間違いが多くて困りました。クラスにも宮本が何人もいて変な所です。文句を言おうにも引っ越してきたのはこっちだから言えません。
ざっくり説明するとこれが私の家族です。やっぱり46年も生きるといろんなことがありました。全部がいい思い出ではないけど、それらを経験して今の自分があるなら全てを受け入れています。必要なかったものも足りなかったものもそこにはありません。
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