みなさん、こんばんは
この記事は私の人生を振り返ったものです。バックナンバーは『なぎさの作り方』で読むことができます。 前回は『11:校長とサシでガッツリ話した件』についてお話ししました。
高校への通学は電車を使っていました。実家からは2種類の行き方ができて、東武東上線で川越駅か川越市駅を使う、若しくは西武新宿線で本川越駅を使う方法です。基本は前者を利用しましたが、時々気分転換で後者を使うこともありました。部活で朝練がありましたが、学期試験がある直前は部活動が無くなる期間が設けられたため、友人たちと遅い時間の電車で通いました。その時にいつも電車の中で会う男子高生がいました。彼は『おごしり』と言う愛称で呼ばれた高校へ通っていて、その高校はカッコイイ男子が多いと有名でした。彼もそれに漏れず背の高くてカッコよかったですね。友人たちは『アーサー』と陰であだ名をつけていました。黒田アーサーに似ていたんです。久々に検索して見直してみましたが、やっぱり似ています。毎回同じ駅から乗り込む彼をみんなでこそこそ見ていました。うん、高校生らしい経験だ。
想いを伝えてみようかって話になって、ファストフードでよくみんなと作戦会議をしていました。何時間もたわいもない話をするその時間って凄く楽しかったです。
その頃私は高校一年生。入学して数ヶ月、相変わらず校則は厳しい。
けどその他は何をしても本当に楽しかったです、部活も勉強も。とにかくよく食べて喋っていました。どれだけ食べても食べたい時期で、朝練が終わるとすぐに自宅で作ったお弁当を食べちゃいました。さらに毎時限終わりに売店でパンやおにぎりを買って、その上学食もしっかり食べて、時には怒られながらもピザの出前を学校まで頼んで、部活終わりにまた学校に残って遅くまでみんなでくっちゃべって。女子は話しますね、ずーっと。女子校なんて話が終わることがない。話題は全然尽きないし。いろんなゲームを作ってみんなで先生をからかったりしましたね。同級生の一卵性双生児を入れ替えてホームルームで先生が見分けられるかとか成功した時には大爆笑でした。やったことないものは全部やってみようって感じで生きていました。うちの学校は入学すると皆勤賞の話をするんです。無遅刻無欠席だと卒業時に置き時計がプレゼントされるんです。あの頃私はどうしてもそれが欲しくって最終的に皆勤賞をいただきました。謹慎はノーカウントなんで私はセーフです。体調が悪かったり遅刻しそうな時はタクシー使って意地でも学校に行きましたね。今ではどうして置き時計が欲しかったのかはわかりません。貰った後に間も無くどっかいっちゃいましたから。そんな置き時計って景品がなくても私は毎日喜んで学校に行ったと思います。遊び場みたいなところでしたから。
さて、話は戻ります。
いつも同じ時間の同じホームから乗ってくるアーサーを電車の中で見ていました。そして私がとうとう手紙を渡すことになります。当日は少し前の電車を使い、彼の駅のホームで待ち伏せしてから渡すことに。作戦はじっくり立てて、便箋もみんなで買いに行ってどれがいいか何時間もかけて選んだり。遠足前日のウキウキ感のようなものです。今でもいい経験をしたと思います。この経験は私の生きてきた中でこれ一回だけですから。ただ書いた内容は酷かったですね。もう少し頭使えって思うような文面でした。
不思議ですが、それでも上手くいったんですよ。
一つ年上だった彼はインターハイ常連のアスリートでした。だから新聞とかに名前を見つけると普通に嬉しかったですね。お互い部活が忙しかったので会う時間は限られていましたが、時間が合えば会いましたし仲も良かったです。アーサーは優しかったし私には申し分のない人です。その優しさが自分に物足りなかった結果、私から別れを告げて終わってしまいました。高校生の私は好奇心が旺盛だけど未熟で、大切なこととかよくわかってなかったんだと思います。
現在、手紙を渡すと言う告白の仕方はもう無いのかしら…あれは携帯電話がまだまだ一般的でない時代の出来事でしたから。連絡し合うのも自宅の電話に掛ける恥ずかしさはありました。あの時代だから味わえたものだと思っています。あの時、手紙を渡してうまくいかなかったとしてもいい思い出になっていたかもしれない。友達たちと一緒に悩んで考えて行動して、同じ経験を共有できたのは良かったです。今だって仲間同士すぐにあの頃に戻れます。
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