高校生も2年生になると受験だ進路だでそわそわし始めます。私の学校は大きく普通科と商業科に分かれていて、商業科は進学と就職に進路が分かれます。私のいた普通科は進学が殆どです。よってみんながどの大学に進むかを話したり、模試にも積極的に参加するようになります。予備校に通う人も多かったですね。
私は学校の授業が嫌いではありませんでした。なぜならそこそこいい点を取っていたからです。学期末テストなども成績が良かったのを覚えています。私にとって学校のテストがこんなに簡単だと思った時期はありませんでした。それなりに勉強もしましたが。これにはあるカラクリがあります。先に言っておきますが、私は頭が良かった訳ではありません。テストでいい点を取る法則がわかっていたから成績が良かっただけなんです。
学校のテストは教科ごとに作る先生が決まっていますが、テストにはその先生の癖がどうしても出ます。一度テストを受ければ傾向と対策ができて、そのルールさえ分かればいい点が取れます。大の苦手だった国語は漢文でも何でも丸暗記しました。問題を理解するというより、テストでいい点を取るための作戦だったので、テスト後は私にとって血にも肉にもなりません。私はらしく魅せる亜流ならできたんです。でもそうはうまくいきません、化けの皮はちゃんと剥がれます。
3年生のクラスメートに一歳年上の子がいたんです。彼女は在学中にアメリカ留学していたため、帰国後学年を落としての同級生でした。賢い子でしたが、学校のテストでよく私に勝てなくて随分睨まれました。しかし彼女は本物です。一斉模試でも本領を発揮していました。私は学校のテストは得意でしたが、全国一斉模試はビリから数えたほうが早いくらいです。校内でも一度900人いる学年でビリから8番ってことがありました。マークシートでそんだけの成績を出すってなかなかできないことです。そもそも真面目に問題を解こうとも思っていなかったので、問題さえ読まず最初の10分ぐらいで解答を仕上げて寝ているような舐めた態度を取っていました。たとえ真面目に取り組んでもテストの結果はそんなに変わらなかったと思います。とにかく学校の成績と模試の成績があまりに差がありましたので、先生としては推薦で大学に行かせることを考えていたようです。
私の意見は関係ないのか…
正直もう勉強は沢山でした。何の役にも立たないことをどうして何年もしなければいけないのか。それでも両親も進学を望んでいたようです。しかし一体進学したって私の将来で必要なことなどありません。いけたとしてもロクな大学に行けそうもありません。やっぱり学費と時間の無駄です。
すると母はとびきりの落とし文句を考えてきました。進学の理由について。
『絶対気の合う友達ができると思うわよ』
母は勉強なんかしなくっていいと言うんです。大学に行けば一生のお友達ができるからその友達作りをしに行ってらっしゃいって…変わっていますよね。母が変な宗教に入ったのかと思いました。
母は本当にそう信じていました。同じ学力の者同士なら一生付き合える友達に出会えるだろうと。
私ならどこにいたって『そこそこの友達』なら作れると思っていました。しかし『本当の友達』と言うのは宝くじみたいなもんで早々お目にかかれません。
で、私はまたここでもう一度人生の回り道をするんです。親の期待に応えてもう少し学歴を増やそうと。決めていたのは受験について、背伸びも努力もしない形で。入学してから息切れなんて御免ですから。
そこで推薦で入れるところで適当な学校を一校だけ選びます。受験するにしたって一校で十分です。落ちたって痛くも痒くもありません。さて、選んだ学校での推薦枠では受験内容として小論文がありました。それなりの長めの文章を書けば簡単に受かるっぽい。
この通りに進めば、馬鹿みたいに受験勉強しなくても周りが喜ぶ結果になりそうです。
先生と両親は私が進学することで喜ぶ。ついでにさっさと受かって卒業までに車の免許を取れば時間の無駄もなく合理的だし。
私は親の願いを叶える上に一校だけ受験すれば済む。よし、これで行こう!
私は小論文など書いたことがなかったので、担任の浅田先生に手伝ってもらいました。小学校の時の長尾先生と同じ状況です。私は読売新聞の社説を題材に小論文風に意見をまとめてそれを先生に毎朝提出しました。先生も私の勝手なことで仕事が増えましたが有難いことに付き合ってくれました。浅田先生は国語の教師なので適任でしたね。多分それは3、4ヶ月くらいやったでしょうか。小論文の書き方を学ぶことは将来使える練習です。受験勉強の為に各教科を勉強するよりよっぽど建設的です。思い出すと姉も10校くらい受験していました。大学なんて一つしか行けないのにどうして何校も苦しい思いして受けるかね?受験料だって馬鹿にならないんだから。
学校生活では学業が本分なんだろうけど、おかしいな、おかしいなと思いながら過ごしていました。
さて、高校生活もわずか。
次回は少し戻って高校一年生の時に起きた恐ろしい連続殺人についてお話ししたいと思います。