みなさん、こんばんは
この記事は私の人生を振り返ったものです。バックナンバーは『なぎさの作り方』で読むことができます。 前回は『14:役に立たないテスト対策』についてお話ししました。
高校生時代で一番忘れられない刑事事件のお話です。
当時の記憶と現状で見れるインターネット上の資料を参考に、今回は書いてみたいと思います。
埼玉県民ならず、私が想像するに全国的に大騒ぎになったであろう事件が『東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件』です。本当に酷い事件でした。東京と名はついているものの、登場するのは八王子市と埼玉県のそれも私が住んでいた西南部で起きたということもあり、余計に記憶に刻まれたのは致し方のない事です。4人の幼女が誘拐、そして殺害されました。犯人が逮捕されたのは平成元年(1989年)の7月別件逮捕でした。当時私は高校1年生で、電車で通学する範囲での出来事です。事件自体一年前から犯行が行われていました。狙われたのが幼児だったとは言え、その衝撃と恐怖はかなり大きかったです。逮捕された年の夏から秋にかけて徐々に自供した犯人。その風貌も毎日のように映し出されるメディアの画像によってすっかり刷り込まれていました。
例えば痴話喧嘩や怨恨などの理由ありきの事件ならまだしも、ある意味無差別で誘拐と殺人が繰り返され、さらに弱者を狙う悪質さや奇異な犯人の行動は毎日のように話題になりました。本当に忌々しい事件で、私の記憶の中に強烈に残るほどの理解不明な事件が起きたのは、覚えている限りでもあの一件しかありません。
八王子にて別件で逮捕された犯人が輸送されたのが確か狭山市の警察署だったように覚えています。当時高校3年生の姉が通う学校の近くにある警察署だったことから、警察官やパトカーを沢山見たらしく、姉は興奮気味に私たち家族に話しました。
私の友人の家が営んでいた工場にその被害者の父親が働いていたことから、社葬もすることになり私も参加しました。お父さんの顔、覚えています。なんとも表現できない顔でした。
子供と大人の中間のような気分でいたあの頃は、事の重大さを時に過小評価し、また過大評価して混乱しました。ふと思い出すことがあるんです。
清く正しく生きたって無差別や通り魔で理不尽な結果を迎えることもあります。残された家族の悲しみや怒りが消えることはひどく難しく、前に進むのにもいろんな力が必要で。目の当たりにして防ぐことのできない犯罪が知らないうちに町中にゴロゴロしていると感じます。しかも見た目でわかる変質者だけでなく、しっかりまともな人の仮面を被っている悪い奴も世の中には沢山いて…
多分、生まれて初めて生で被害者の家族を見たから余計記憶に残って怖かったんだと思います。私は対象者の年齢層ではありませんでしたが、だから安心できるという話ではありません。多分あの頃から訳のわからない事件が増えたような気がするんです。今ではすでに不可解な事件が山のようにあります。
私が子供の頃は一人で夕食ができるまで外の公園で遊ぶこともよくありました。それでも何も起きなかった時代だったのです。少しずつ変な事件や国際化が進んだことで子供を取り巻く環境は激変しました。身近な人や近所で起きた事件はあまり色褪せないで覚えているものですね。今でこそ伏せられている被害者の名前とかも覚えていますもん。私だって間接的にトラウマになっているんだと思いました。
トラウマといえば、他人にとってはほんの小さな出来事に思っても本人にはしっかり残っていることがあります。話は変わりますが、埼玉県は本当に電車の痴漢が多いんです。通勤通学ラッシュなんて当たり前のように毎日。あんなの人が乗るものではありません。高校生の初めの頃は驚きがまず来て、怒りと吐き気を覚えました。
それが理由かわかりませんが、私は高校生以降今に至るまで満員電車には乗っていません。高校時代もできるだけ早く学校に行ってほぼ満員電車は避けていましたね。
あれに乗るくらいなら別のルートを探すか時間をずらして行動していました。
事件の大きさにかかわらず、被害者の傷は消えないのでしょう。
ブログランキングに参加しております。下の応援クリック2つともして頂けたらありがたいです。