みなさん、こんばんは
この記事は私の人生を振り返ったものです。バックナンバーは『なぎさの作り方』で読むことができます。 前回は『15:心に刻まれた恐怖』についてお話ししました。
高校生活もいよいよ終盤戦です。
高校3年の秋は宮沢りえちゃんのSanta Feが発売されて大騒ぎになりました。りえちゃんは私たちと同い歳なのに自分で自分の道を切り開いていて凄いと思っていました。私とは大違いだ。誰かがクラスの壁にりえちゃんの載った新聞広告を貼った。当時は発売当日の新聞に見開きでその写真集の広告があったんですね。本当に綺麗でね、りえちゃんカッコ良かったです。
で、合格する→暇になる→車の免許取る→卒業って順序で最後の高校生活を過ごしておりました。
みんな忙しそうだったので一緒には遊べませんでしたが、2月に入りすこしずつみんなの進路が決まってきてからは一緒に旅行に行ったりして思い出作りをしましたね。
卒業式は別に悲しくもなんともありませんでしたが、私が道に迷わないよう沢山の先生にお世話になったので挨拶に行きましたね。風紀の先生が、
『卒業したら黄色でも赤でも好きな色に頭染めて、なんでもおやりなさい!』と言った。
それは校則の厳しかった高校で、在校中の私たちに先生がずっと言えるはずもなかったセリフです。毎年このセリフを卒業生に言っているのかと思ったら、それも風物詩なんでしょうね。あの卒業時に頂いた先生からの言葉は本心なんだと思います。ところが卒業するとそれはそれで人間的に落ち着いてしまうから不思議です。
さて、卒業して間も無く入学式です。
私が選んだ進路ですが、前々回でお伝えした通り進学しました。これ以上勉強したくなかった私の選び方ですが、
1.自宅からとにかく近い(バイク通学か満員電車を避けられる方法で)
2.英語の学部へ(将来のため)
3.身の丈に合った学校
見つかるもんですね。ぴったりのがありましたよ。
で、入学したのは十文字学園女子短期大学でした。今は大学しかありませんでしたが、私の在籍した英語英文専攻は現在ありません。母が言った通り、私は真剣に勉強をするために進学したのではないのです。でも有意義な2年間を過ごそうとは思っていました。
また、この学校が面白くって。同系列の高校からエスカレーター式に進学した人を『内部』、中高と進んでの進学者は『スーパー内部』って呼ばれて、やっぱり私たち外部とちょっと育ちがいいのかなって思うんですよ、毛色が違うって言うか。持っているものとかもお高そうでね。キャンパスに乗り付ける車も赤いスポーツカーって…うちのキャンパスは埼玉県新座市なのに。近くに254(川越街道)が走っているくらいで畑しかありませんが。
いまだに一番仲のいいグループがaあるんですけど、メンバーには内部もスーパー内部も混ざっています。最後はあんま関係なくて、仲良くなったら大体こんなもんですね。
さて、英語は必要でしょうと言うことで今後の私に一番使える学部を選びました。これは海外で必要でしょーって。この学部は何と短期留学カリキュラムもあるんでそれが魅力でした。むしろこれ一つで選んだかな、十文字。一度海外に行っておいた方がいいですもんね。試しとかないと。私の海外のイメージはかなり良かったですが、裏切られる前に試すのは大事です。
それから教員のカリキュラムも選択しときました。もちろん私が英語の教師になるって言う話ではなく、知っておいていい技術を学べるのではないかと欲張りました。おかげさまで土曜日まで学校に行く羽目になりましたけど。
入学して間も無く尾崎豊さんが亡くなったんですよ。あの頃の若者のカリスマでしたから。護国寺、凄い人でした!
とりあえず形的には普通の学生ですが、私がこの2年間でやることはもっと別にあったんです。
何度も言う通り、勉強するための時間ではないです。今後の人生で必要なことをまとめるための2年間でした。そりゃいろいろ回り道していますが、結果これは、
計算通り
です。時間が長く壮大すぎるのですが、この時点からあと、
10年
かけて私のイタリア行きが決まるのです。
凄いでしょ、長いだろー。映画だって小説だってこんなにかけないから、時間。
先はまだまだ。時間がかかります。
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