みなさん、こんばんは
この記事は私の人生を振り返ったものです。バックナンバーは『なぎさの作り方』で読むことができます。 前回は『16:計算通りの18年間』についてお話ししました。
高校生を卒業して、さてこれからの2年間の学生生活をどのように過ごすのかは大切です。
学生らしく勉強に特化するのか、母が言った通り友達探しなのか…私にとってはどちらでもありません。
目的はアルバイトです。
この2年間で自分の適性を知りたかったんです。いつかは働くことになるでしょう。そして海外に行こうとも思っています。言語も大切ですが、大事なことは『何を生業にして生活していくか』でした。初期費用として幾らかの資金作りをしていてもいいと思いますが、収入が無ければいつかは資金が枯渇してしまいます。だとしたらお金を生み出さないといけない。自分にはどんなお仕事が向いているのだろう?高校時代はアルバイトをしていないのでようやくチェックできるのがこの頃でした。
とにかくいろんなお仕事を体験してみたいとは思っていました。
本当は一気にこの話をするのがいいのですが、多分みなさんが混乱してしまうような気がするのでここでは18歳から20歳という枠でのみ紹介します。全部ではないですが、何となく印象に残ったお仕事をポンポンと挙げてみます。特に珍しいものではありませんが、なかなかどれも面白かったです。
まず、家から一番近所にあったセブンイレブンの店員が私の公式アルバイト第一号だと思います、多分。現在の方が複雑な西行があるのではと想像するコンビニ店員のお仕事。私がやっていたのは30年近く前ですから、そんな難しくはなかったですが頭は使いましたね。この職業には器用で応用の利く方が向いています。常にいろいろ+考えていることとか、何か小さなことでもすぐに気付く才能とか。1年くらいしか働いていませんでしたが、辞めてから数年間はコンビニに行くとどの店でも勝手に前出し(商品が見えやすいように手前に商品を持って並べること)をしてしまう職業病がしばらく続きました。自然に体が動いてしまう、あれは恥ずかしかったです。
同時にこれまた実家の近所のスーパーでレジ打ちのバイトもしました。で、バイト仲間はなぜか中卒のヤンキーばっかりでみんな私より年下でした。彼氏や旦那が鑑別所だ少年院だに入っているから肝が据わった子たちばかりでしたが、仕事はしっかりやるんです。レジ内では速さと正確さをよく競争しましたけどいつも負けましたね。彼女たち、中身はすごく筋が通っていて見た目よりしっかりしたいい子たちばっかりでした。真夜中にうちに遊びに来るのは迷惑だったけど性格的に付き合い易かったです。
私はバイクに当時乗っていたのでガソリンスタンドでも働いていました。働いていればガソリンも安くなったりするし、いろんなバイクの知識も増えたのでそれも良かったです。時間のある時にはメンテナンスもできたし。まだセルフサービスとかなかった時代でしたので、ガソリンを入れる行為とか特別感があって楽しかったですね。『オーライ、オーライ、O Kでーす!』って声がけしている自分が好きでした。
工場でも働いてみました。山崎製パンで、当時は工場が24時間稼働で、ずーっとシフト制でひたすらパンを作るんですよ。いろんなパンがあってね。『まるごとバナナ』のバナナを数時間剥く作業とかゴリラもびっくりです。ショートケーキのホイップを1日つける作業とかやると、ちょっとケーキ作りも職人肌になりますね。菓子パン作りも面白かったです。パートのおばちゃんもイケイケで仲良かったです。工場のパンは持ち帰れませんが食堂で食べ放題だったので、いつも仕事後みんなで残って食べながらおしゃべりしました。懐かしいです。
それから信じられないですが、家庭教師もしていました。全教科、中学生に週3回教えていました。生徒さんは昔の私くらい頭の悪い子でしたが、悪い子の気持ちはよく知っているのでなんでわからないのかって疑問はありませんでした。彼らの場合、わからない所がどこかさえわからないんですよ。根気強く付き合っていくだけですね。その子の親御さんの顔を毎回見る度にちょっと苦しそうな笑顔をするんです。私の母もあんな顔をしていたのかなと思いました。
これらのアルバイトはほぼ同時に掛け持ちしていました。だからいつも疲れて眠かったですね。学校の勉強は予定通り何もしませんでした。試験勉強も全くしませんでした。でも不思議なもんで、この手の学校って何故か卒業できるようになっているんです。だから落第も留年もしないと鷹を括っていました。案の定、問題なく卒業できましたしね。変なの、日本の大学。第二外国語必修のフランス語、何も喋られないのに単位取れましたもん。酷い、これは日本の悪習だと思います。
アルバイトに関しては、仕事とは何かを学びたかったのでお金はあまり興味はなかったですが無いに越したことはありません。7月からはカナダに行くことが決まっていました。向こうで使うお金は全て子供の頃から貯めた私のお金を使うことになっています。内部やスーパー内部と違って私は庶民だからしっかり作っておかないといけませんでした。同級生たちはサークルに行ったり車の免許取りに行ったり、合コンに行ったりしていましたね。そうそう、時代は『東京ラブストーリー』や『あすなろ白書』でしたから、あんなん真似する子たちばっかでしたね。とはいえ私だってサークルに2、3個入っていましたよ。つまんらんイベントは大体不参加。飲み会だけ行っていました。だから学校とアルバイト先と全く毛色が違う人たちと出会えたのはすごく勉強になりました。
それから、何やりましたか…
あと、東京ドームのビール売りとかもやりましたね。ガチで力勝負。しんどかったけどいい経験でした。
大型スーパーの開店記念でマグロの売り子もやりました。3日間のセール分を初日で全部売り切った『伝説』は友人ならみんな覚えています。あれは未だに笑い話になりますね。で、こう言われます。
『なぎは働くために生まれてきたんだよ』って。
働く以前から私は働くことが本当に大好きでした。中学を卒業した時も高校に行った時も卒業した時も、もっといえばその前から早く社会に出て働きたいと思っていました。働くことは大変ですが、学校にいる時よりアルバイト先で私は伸び伸びしていました。
夏が近づくと念願の短期留学が始まります。次回はそのあたりから。
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