初めての海外&ホームステイ。結構馬鹿にしていたカリキュラムでしたが、最終的にはみんなそれぞれが記憶に残るような経験をしたようです。私も当初から今回の滞在で、語学の上達には重点を置きませんでした。結果うまく行きましたね。それは行かなければ得られない体験だとか日本人にない発想を感じることができたのでとても新鮮でした。
ごく当たり前の『しっかり自分の気持ちを伝える』大切さ。何か悩んだりしたらまず考える、そして自分で結論を出す。人に話して自分の考えが合っているかのジャッジを受ける、そして成長する。取り立ててこの段階で知った技では無いけれど、通常の学校生活とは別の切り口で物事を考えられるようになったのは新しい発見でした。意外と舐めていたにもかかわらず、やって良かったの実感はありました。ありがとう、お父さん、お母さん。
年齢にしたら私たちは当時18、19歳です、ちょっと背伸びをしたい女の子は現地での恋愛にのめり込んでいました。やっぱり減らないのよね、この手の女の子たち、そりゃ勉強どころじゃないな。毎晩そんな恋バナで盛り上がりましたよ。悩んでいる自分が好きって感じの終わりのない話題だったけどそれもまた面白かったです。青春だな。
ホームシックになる子はなるべく日本語を話す割合を減らさないようにして自分自身で心のバランスを取ろうとしていました。途中で帰国するのはさすがに…恥ずかしかったのかな。そもそもホームシックになるような子は任意なんだから参加しなくてもよかったのでそんないなかったか。
そういや私って生まれて一度もホームシック経験なしです。夏休みとか親戚の家に一人残って、親が迎えにきても一度じゃ帰りませんでしたから。ホームシックってどんな気分なんでしょう?むしろ自宅に帰らない。帰りたくないんです。
留学生の中には堅実な子もいましたよ。猛勉強した子はすごい語学力の上達を短期間で実践していました。私が言うと説得力がないのですが、うちの学校はですね先生が良かったんですよ。授業もちゃんとしていたように覚えています。ただ真面目に勉強しようって奴らが少なかった、それだけです。だからちゃんとやっている人はそれなりに伸びたんでしょう。
お金持ちの子は散財が止まらず、壊れてしまったかと思いました。業者のように買いまくるのは親の影響なのでしょうか?親のクレジットカードを持ってきている子たちは多かったです。私は幼い頃からのお年玉などのわずかな貯金を全て下ろしての参加だったので、出だしからリミットが合って無限にお金を使う同級生を見て『そんな世界があるんだー』と思いました。一緒になって付き合っていたら本気で欲しいものが買えなくなると付き合い方を変えていましたね。
さて、まとめます。
私は『やっぱりいいな、海外って』と心から思いました。前回の記事を読んだ方は、私が1番目のホームステイ先とうまく行かずに今回の滞在は失敗したと思っているかも知れません。でもその辺は意外と冷静で、別に海外に住む=パラダイスとは考えていませんでしたしそんな安易でもなかったです。
あっという間のカナダ滞在。最後の一週間くらいは観光をして日本に帰国することになっておりました。みんなで記念のようにピアスを開けて、爆発したような髪型にもしたし、本当に行って良かった。わたしが幼少時から海外を見据えていたのは何度もお話ししたことですが、それと同じくらい独立心が強かったんです。早く自宅を出て自力で生きて行きたかった。
人の世話や援助などなく生きることが自由だと思っていました。その自由には栄誉や名誉や大金などは全く関係なく、ただ平凡にどっかの国に住むことが私の望むゴールでした。
私の将来の指針、青写真はとてもぼんやりしか見えませんが、既にぼんやりは見えています。
残念なお知らせですが、ここまで人生の普通のレールに乗せたがった両親の想いは私に全く響いていませんでした。とうとう本気で私と向き合ってくれた両親とガッツリ話さないといけません。少なくとも人として礼儀だと思いました。帰国したらその想いは伝えるべきでその時期がまさに今です。私はずっと微妙な振る舞いをしてきていたし、あともう少しで成人だしちょっと遅くなったけど、ちゃんとしよう、ちゃんとしなくちゃ!
友人の中には帰国後またこの地を訪れて長期留学を決定していた者もいました。頭の柔らかい親を持つ友人には私の気持ちはわからんだろうな。まぁ経済面もあるでしょうが、まずその前にうちの両親の融通の利かなさは話すまでもないことです。両親が自分たちの望む未来を子供に託すのは自然な流れだと思うんです。分からなくもない。子供に特にちゃんと人生の方向が決まってないんだったら尚更。でも私はもう決まってますから逆に問題なんです。
ここで言いたいのは私にとってこの18歳の出来事は人生にとって大切な分岐点だからここまで時間を割いて書かせてもらっています。
初めて公式に両親へ自分の気持ちを伝えたのがこの時です。そして、長い時間をかけて私は夢を諦めず、両親は必死でその想いを阻止しようとした10年間が待っています。このように私が決意したのは念願だったカナダ短期留学が後押ししたことは言うまでもありません。中学から高校、そして短大となんとなく動いていたような私の行動にも実はちゃんと理由づけが合って、いくつかの偶然とエピソードが子供の頃の想いを諦めさせなかったような気がするんです。
それでもピンと来ないでしょうが、私が『海外に住む』と言うセリフが我が家にとってなかなかの禁句だったことを含め次回お伝えします。
日本に帰国します。成田空港にはすでに母が迎えにきているはずです。