みなさん、こんばんは
この記事は私の人生を振り返ったものです。バックナンバーは『なぎさの作り方』で読むことができます。 前回は『20:両親へ残念なお知らせ』についてお話ししました。
成田空港に到着すると、出口のところで母が待っていました。久々に会えて私は嬉しかったのですが、
…母は怒っていました。ナンデ?
どうやら私の風貌があまりに変わっていましたので、ショックを受けたようです。
ところで両親が私に昔からよく言っていた言葉があって、お前は『感化されやすい』と。私は周りに影響を受けやすいとか、染まりやすいという節があります。
本当だから、否定はしません。さすが親は私のことをよく分かっているもんです。では、言い訳しますね。
周りにいい生き方している人がいたら真似しようって思うじゃないですか。それと同じなんです。たまたま心に刺さった言葉とかって、別に書き出している訳ではないのにずっと心に残って忘れられなかったりしませんか?そんなのしょっちゅうなんですよ。世の中見本になる人が沢山いて、接して得られたものって貴重だし、私も大事にしたいと思っています。だから良いものは取り入れようと思うし、それが後々自分の財産になるって考えています。
良い感じに聞こえはいいですよね、今のところ。
では…、問題はココです。
私はいい所ばかりじゃなく、時々悪いものも吸収しちゃう時があるんです。特に若い頃。で、世の中って悪い奴もいますよね、そこにプラーっと連いて行っちゃうことがあるんです。染まったら早いですから、私。だから身近にいい人がいれば良くなるし、ワルがいたらグレちゃいます。で、その場は毎度正しいと思って動いていたから私はタチが悪かった…
母は私のことをよく分かっています。だから私のあやふやさは毎回母を不安に陥れていたんでしょう。まず、帰国後は成田空港から自宅まで、そして自宅に帰ってからも全く口をきいてくれなくて、それが2、3週間かかりました。私の変わった姿とこれから言うであろうセリフなどをすべて避けるかのように、母はじっと知らんぷりして生活していましたね。んなことは私は知らないもんですから、早く自分の気持ちを両親に伝えないとって焦る訳です。聞きたくない人と話したい人が交わる訳もなく、時間だけ過ぎていきました。
とりあえず自分の気持ちは伝えないと。
突然ある日、『海外行きます』って。『行ってきまーす』って。
このやり方は完全に私が間違えていましたね。これじゃ伝わらんわ、こっちの気持ち。
抑えとくべきポイントは、我が家の別の問題です。理由はどうだか知りませんが、とにかく最初っから両親は海外が大嫌いなのです。もっと言うと姉も何回か海外に行きましたが、学校関係と新婚旅行で無理くり行った後は全く興味がないらしく海の外に出ていません。私だけ突然変異で育ってしまいました。もう完全アウェーです。誰も加勢してくれん。
どうせ海外は麻薬とピストルくらいのイメージじゃないのかしら。理由のない海外嫌いなんです、これアリか?
理由のない人を説得させるほど難しいものはないのです。解決策ゼロですから。
敢えて両親を擁護しますと、
今回カナダで何を経験し、何を吸収したのか両親は知らないんです。だから私に対して心配していたんですよ、『どっちの感化?良い方?悪い方?』って。私の海外移住案は当時も今も間違ってはいないし、良い方の感化なんです。ただし、絶対なんて勿論なく、『万が一』という落とし穴があります。それが両親は怖かったんじゃないでしょうか。現在30年経った今だからこうやって冷静に判断しながら振り返っていますけど、多分そんな所で当たっていると思います。こんな話両親と振り返った訳ではないから私の想像ですよ。でもこれが親心なんじゃないかと。あの頃は意見が通らなくってしばらく私もブチ切れていましたけど。
で、長く話し合ったんですけど多数決(両親VS私)でも結局私が負けるんです。
注)姉はこの場合、永世中立国です。関わらないタイプ。
しかし私にはこの想いを既に10年以上持ち続けてきたので『はい、そうですか』からの終了とはいかないです。私が粘り勝ちするまでそれから10年後ですが、その間に起きる幾度となく続いた話し合いも両親は大変だったと思います、私が全然諦めないんですから。
私は自分のことだから絶対に引かなかったし、到底両親が望む人生は送れそうにありませんでした。29年前の初戦は私の完敗でしたが、非常に重要な出来事だったのでじっくりお話ししました。でもご存知の通り、最終的には私が勝ちましたから。その展開も面白いので後々ご紹介しますね。
次回は趣を変えて、怪しい宗教に勧誘されたお話をします。
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