これはカナダに行く前か後か覚えていないのですが、私がある大学の旅行サークルに入っていたんですね。
で、そのサークルの企画がパッとしなかったので、私なんて幽霊部員みたいなもんです、サボりまくってて。キャンパスも市ヶ谷で遠かったから、飲み会だけの参加率がいいメンバーが私でした。ただ、友達ができて、仲良くなったから付き合いは続けていたんです。
で、その友達が同じ学校の同級生だったんですが、時々ファミレスやカフェテリアで話したりするのが楽しくって、時々つるんでいたんです。
ある日、いつものファミレスに呼ばれて、行ったらその友達が知らない女の子をつれてきていたんです。可愛い子。
どうやら一期上の学生さんらしい。初めはずっと世間話をしていて、まぁ普通に盛り上がっていたんですが、1時間くらい経った頃から怪しくなってきました。
その可愛い子が上手いんですよ、話が。悩みとか聞き出して宗教の勧誘を始めたんです。こうやったら救われるとかいい人生が送れるとか。私、段々可笑しくなってきました。辻褄が合わないんですけど、頑張って話してくれるんで、こちらもどんどん訊くと向こうも乗ってきたので話が盛り上がるんですよ。
多分新興宗教のブームみたいな時期だったのかもしれません。当時は1992年で、あのオウム真理教ができたのが89年、地下鉄サリンが95年。そんな時代背景で多くの大学生が勧誘を受けていた頃だったのかもしれません。後々考えると私はカモとして勧誘されたんだと思いました。舐められたもんだ、ああいうのって騙せると思われているヤツが狙われる訳じゃないですか。私かぁ…
でも、その時は面白さしかなくって。ちょっと騙されているフリをして、どこまでグイグイくるんだろうって私の悪い血が騒ぎまして。
純粋な宗教だったら別にそんな悪さもしなかったと思いますが、明らかに悪質でしたね。あれは騙された人いるんじゃないかな。
やっぱりキリスト教とかの西洋宗教よりも仏教から派生した新興宗教の方が日本人として馴染みやすく入門しやすい様でしたね。日蓮の流れとか訳のわからないことをずっと言っていました。更にその宗教のグッズを買うといいことがあるらしい。それが本当なら安い買い物だ。それなりのリアクションをして相手をノリノリにさせていました。
そもそも私にはブレない定義があって、『見えないものは信じない』んです。だから神も見たことがないので無神論者です。占い師も霊媒師も超能力者も催眠術師も信じません。彼女たち二人共、勧誘する相手を間違えましたね。私じゃまず絶対引っかからないです。宗教で矛盾が見えるともう全く信じようがないでしょう。そこで話を伸ばすだけ伸ばしてから論破してやろうと思いました。二人共ときわ台(東武東上線の駅、板橋区かな?)のその宗教の本部に私を連れて行こうと必死です。凄いな、完全に洗脳されてる…
その宗教だってちゃんとしたものかもしれないけど、どう考えてもおかしいでしょ。医者が渡す薬だって信用しない人間が宗教で救われようなんて思っちゃいませんから、完全に向こうの人選ミスですよ。どんなに頑張っても絶対乗っからないから。
※ここで話はズレますが、ちょっと補足させてください。
私は現在観光ガイドという職業をしていますが、美術館では様々な宗教画があり、教会にも行きます。その時には美術的な内容だけでなく、しっかり聖書の観点からもお話ししますが、お仕事としてちゃんとキリスト教についても勉強しましたし、このイタリアに住んでいる以上信者の方にもリスペクトをしています。信仰心はありませんが、教会に入る時、出る時は十字を切るしクリスマスにはおめでとうと言います。
で、話に戻ります。
どうせ論破するならここじゃなくて、本部に行ってからやってみようかなと思い始めたんです。こういう勧誘も今後あまりあるとは思いません。実際これが最初で最後の宗教勧誘でした。その日の夜に母に話したんです。その宗教について。今度本部に行ったろうかなって。
そしたら母は私が騙されていると思って凄い勢いで反対してきたんです。分かってやっていたつもりなんですが、今度は母に冗談だということをわかってもらうための説明が必要でした。昨日の話にも繋がるのですが、私が分かってやっていたことも親の立場で不安だったのかもしれません。だから私は海外行きの説得も失敗したんでしょう。
それぞれに信じるものがあっても別に構わないのでその子ともそれからも友達として付き合っていましたね。こっちに勧誘して来なければいいんです。
ということで、ブログ的にタブーとされる宗教についてお話ししました。
本当は本部行って論破したかったですが心残りです。それができたらいい体験だったと思うんですけどね。