みなさん、こんばんは
この記事は私の人生を振り返ったものです。バックナンバーは『なぎさの作り方』で読むことができます。 前回は『23:Where's Mika?』についてお話ししました。
19歳の初夏、教育実習に行って来ました。
しかし私が教師になりたかったかと言うとNoです。その時しかできない経験があって、それが後々何かの役に立つならやってもいいかなと言う判断でした。教育課程を受講することは他の人たちより勉強しなくてはいけません。それでも社会に出た後に時間を戻して経験できるものでもないし、先生になりたいというより、教育実習は正直興味がありました。先生方はどんな気分で私たちに教えていたのかな、接していたのかなって思いました。
思ったより教育課程はあまり実になるものではありませんでしたので、時間の無駄だったし少しがっかりしました。教育心理学とか使える授業かと思いましたが全然で…あれらはやってもやらなくても教師になる事にはなんの意味もないカリキュラムというのが受講した感想です。私は車の教習くらい必要なものだと期待していたんですがね。
しかし教育実習は本当に楽しみでした。一度やってみたかった!中学生を平均で14歳と仮定したとしても当時の私が19歳なのだから、見習い以前の半人前とは言え彼らは私たちを恐らく『先生』と呼ぶのです。斬新な感覚ですね。私たちの間には僅か5歳の違いしかないのに…当時私はすでに家庭教師をしていたのだから先生と呼ばれるのは免疫があったものの、学校で生徒から呼ばれるのとは訳が違います。今の中学校の英語はどんな授業をしているのだろう?どのくらいの実習期間があったのか覚えていなかったので調べたところ、中学校は現在3週間の実習があるようです。そんなに長かったかなとも思いますが、どんなに短くても当時2週間はやった覚えがあります。
通常は母校に行くので私も例に倣って所沢の母校へお世話になる事にしました。先ほども話した通り、私がこの中学を卒業して5年も経っていません。知った先生もまだ在職していました。私自体は成長期というものが無かったので教室が狭く感じるとか机が低いとかの違和感はなかったです。さらに驚いたのはたった数年間でしたが、英語の授業が全く進化していなかった事です。日本の英語の授業は昔から良くないと思っていました。あれは受験勉強みたいなもので、使える英語を全く教えていないからです。それをわかっていてみんなが受け入れている英語の授業はなんの意味あるのか疑問でしかありませんでした。本当に勿体ない、中学校、高校だけでも6年間は英語の授業があるのです。なのに高校を卒業した際に英語を話せる学生さんはどれだけいるのでしょうか?
資料:国別英語力比較2018【EF,EPI】
これは絶対に文科省とか教育委員会もいけないと思います。子供が学べる時間って本当に限られているのに大人の勝手な意見で子供たちはいつも翻弄されています。詰め込みの授業の時代もあったし、ゆとりの時代もありました。これは本当に酷いし子供を馬鹿にしていると思います。私の頃の英語教育も酷かった。私が中学時代の英語教育は少し無法状態で先生が独自に決めた教育方法をそれぞれにすすめていました。よって教える先生やクラスによって差が出ていたし、喋れるのと試験の成績との乖離が酷かったです。今はもう少しよくなっていればいいのですが、イタリアへ旅行に来る卒業旅行生をみてもあまり日本の英語授業に成長がないのかなとは感じてしまいます。
みんな分かっているのにどうして変えられないのでしょうか?
私が30年も前に感じていてた生産性の無さは今も着々と受け継がれているのかもしれません。
そもそも『先生』と呼ぶのはいいと思うんです。しかし呼ばれた方はちょっと勘違いしてしまうかもしれませんね。
日本では苗字をつけて先生と呼びます。ここ、イタリアでは幼稚園、小学校ではマエストロ(マエストラ)と呼びます。『先生』に名前をつけて呼ぶのは幼稚園までだそうです。それからは先生のみの敬称を使います。中高校とプロフェッソーレ(プロフェッソレッサ)、大学に入ると先生によってはプロフェッソーレとさらにドットーレ(ドットレッサ)と呼んだりもします。私の時代には先生と呼ぶべき素晴らしい教師との出会いもありましたが、そんな思い出もなく学生生活を送る人もいるなら不運としか言いようがないですね。
楽しかったです、教育実習。その模様は次回!
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