みなさん、こんばんは
この記事は私の人生を振り返ったものです。バックナンバーは『なぎさの作り方』で読むことができます。 前回は『24:日本の英語教育』についてお話ししました。
さて、私が母校の中学校に行った時は6月から7月にかけての頃だったと思います。新学期が始まって、何となくクラスのまとまりも出て来たくらいの時期であり、夏休み直前といった緊張感もない季節のいい時でした。教育実習に参加するのは私を含めて4人だったと記憶しています。うち3名は大学生だったため、私だけ2歳下で同級生に会うことはありませんでした。実習の科目もそれぞれ綺麗に分かれていたので教わる先生も重なることはなくコミュニケーションを取る環境はとてもよかったです。
教えると言う事に特別な抵抗などもなく、どのようにしたら英語をみんなが楽しく関われるかを考えていました。私たちの頃は英語は中学校から必須科目だったため、興味がある子とない子がはっきり分かれてしまい、それが得意苦手意識を作ってしまいました。英語に触れることのできることは非常に少なく、テレビでウィッキーさんが街の人に声をかけたり、ルー大柴が不思議な言い回しで話すの聞くくらいでした、時代だなぁ…。よっぽど洋楽が好きだったりしなければ英語は苦手な科目になってしまうかもしれませんね。
短い期間だったとはいえ、1年前に経験したカナダ滞在はとても大きかったのだとその時に気づきました。本場で学んだことで耳が良くなっていたんですね。そういや短大の授業でエラいのがありました。コメディードラマを耳のみで聞き取り、なんの話題で盛り上がっているのかをみんなで話すってのがなかなか難しいんですよ。しかもコメディーって独特の言い回しがあるから大変でした。あれが本当にしんどくって最初は泣きながら授業に参加した覚えがあります。でもそう言う練習も教育実習の時に何か役に立ったのかもしれませんね。
実習の際、私を担当する英語の先生は私自身も教わったことのある女性でした。懐かしさもありましたが、数年ぶりに会うと授業の穴が見えてくるものです。日本らしい文法や形から入った授業を取り入れていて、これは勿論受験勉強の時に必要なテクニックばかりでしたが、では興味が出るのかと言ったら生徒側の一部からは受け入れられないものでした。あれは先生のせいではなく、日本の英語教育の方向性がそうだったのだと思います。私はせめて自分がいる時くらいは少し伸び伸びやらせてもらってもいいかなと思いました。初めの1週間くらいは先生が行う授業をクラスの一番後ろで立ちながら聴講するのですが、その後からは自分でテキストを作り好きなようにやらせてもらいました。勿論相談はしますけど、殆ど問題なく先生からはOKが出ました。そう言う意味では臨機応変に対処して頂きました。自由にやらせてもらって良かったです。
ところで、日本で英語が浸透しない理由として江戸から明治にかけて既に日本人の識字率が高かったこと、鎖国その他で英語を特に学ぶ必要性がなかったこと、主に単一民族の国という背景があるのだと聞いたことがあります。でも英語は話せないより話せたほうがいいに決まっています。今でこそ自動翻訳機とか便利なものがありますが、とどのつまりが人間関係なら英語は話せたほうがいいですし、とにかく話せると楽しいです。私は翻訳機など使ったことはないけど、例えばどこかにホームステイしてその機械を間に挟んでコミューニケーションって無理でしょう。それなら片言でもジェスチャーをうまく取り入れて直接話したほうが伝わるものです。時代が進歩しても言語の勉強って必要じゃないかと常に思っていました。やって来たことは間違えありませんでした。日本語を知らない人と会話ができる喜びは知っていたので、それを生徒さんたちに分かってもらいたかったです。言葉を話せるのは視野が広がりますし、いいことばかりですね。
中学生ってこんなにしっかりしていて真面目で朗らかなんだって思いました。みんなかわいいなぁって思いました。やっぱりそう言うのを経験すると学校の先生になりたくなる気持ちがわかります。なんでもお試し期間っていうのはとてもよく見えるものです。いざその世界に入るととんでもない苦労が待っているんでしょうけど。また経験してもいいなってくらい教育実習は楽しかったです。
教育実種が始まって間も無く居酒屋で歓迎会を開いていただきました。私一人だけ未成年だったんですが、そう言うのあまり関係なかったのかもしれませんね。今は無理かしら。ちなみに送別会は今は無き近所のトンカツ屋さんで行いました。
その先生方の中に中学校2年生の時の男性担任がいました。皆さんも覚えているかわかりませんが、私にとってあまりいい関係性ではなかったあの先生です。そんなこともあるだろうとは思いましたが、やはりありましたね。一体どんな顔で会えばいいのかとも思いましたが、ポーカーフェイスで終始お話しすることばかりでした。先生も覚えていないのか話にも触れませんのでこちらも振る意味がないからあの頃の話題になることはありませんでした。どの先生も本当によくして頂いて、私にとっては思い出づくりのような形になってしまいましたが人前で話すこと、子供たちに向けて話すことなども一緒に勉強したことは今に生きているかもしれません。
実家に帰ると必ず通る中学校の横。学生さんたちの体育着や制服が私の頃と未だに同じで時が止まったようです。校庭の横を歩く時、微妙に時期が違う二つの経験がいつも蘇ります。穏やかになつかしいって思える場所があるのは素敵なことです。

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