この記事は私の人生を振り返ったものです。バックナンバーは『なぎさの作り方』で読むことができます。 前回は『26:二度の教習所』についてお話ししました。
志木で隣に住んでいた近藤さんちのお兄ちゃんは体が小さかったのですが、バイクが大好きで高校に入るとバイクに乗り始めました。
脚の高さを地面と合わせるためにシートを削ってなんとか乗りこなしていました。
まもなくお兄ちゃんは交通事故で亡くなってしまいました…
恐らくそのことから5年以上は経ったでしょうか、私がバイクの免許を取ったのは。
車の免許よりよっぽど嬉しかったですね。使える免許を初めて取った気がしました。車は維持費も大変ですから、バイクが通学もしやすいし便利でしたね。特に私が愛用していたのはカワサキってメーカーのゼファーでした。当時はもちろん中古しか手が出なくって、毎月雑誌で探していたもののようやく八王子のバイク屋で希望のものが手に入り、大切に使っていました。
ある日、私は家路を急いでいました。思ったより遅くなっていたので早く帰宅したいとは思っていました。
そんな焦りもあったのかもしれません。家から1キロも離れていないところで事故が起きました。
交通量の多い十字路にコンビニのローソンがありました。その駐車場から出てきた車と交差点に差し掛かった私のバイクが衝突したのです。車による直線妨害、そして私の前方不注意でした。交通事故ってどれぐらいの割合の人が経験しているのか知りませんが、私は過去に何度かあります、全てバイク関係ですが。その中でも一番初めの交通事故が今回のものでした。
結構派手にぶつかったこともあり、私はフルフェイスのヘルメットは衝突後にぶっ飛びました。ラッキーだったのはヘルメットがプロが使うレース用のものだったんです。たまたま友人のお姉さんのお古を使っていました。そのヘルメットは完全にダメになりましたが、私はお陰様で助かりました。
さらに良かったのは私が車にぶつかって対向車線に弾かれたのですが、そこに車がたまたま来ていなかった事です。もし車と鉢合わせだったら私は轢かれていました。
車を運転していたのは近所のご夫婦でした。すぐに私と気付いたようです。
救急車を呼んでいただいたのですが、私はそれどころじゃありませんでした。よく言われる走馬灯のようにいろいろ思い出す、それって本当ですね。私もありました。いろんな思い出が一気に駆け巡って、それも多分短時間だったのでしょうがゆっくりとそのイメージは流れたことを覚えています。
そんな中で二つの大事なことを考えていました。一つは父が凄く怒っている顔です。父がこのことを知ったらバイクの運転も今後許してくれないだろう、なんて事だと焦ったのと、バイクの速度でした。もしかしたら制限速度を超えていたかもしれない、キップ切られると思ったのです。慌ててバイクの傍まで駆けつけたところ、バイクの速度計はゼロを示していました。良かったー、って思って安心から気絶しました。
その後意識があったのは救急車に乗った時です。どう言う展開だったのか知りませんが、両親が私が乗る救急車の外の窓から私を見ています。
父の顔は般若のようでした。心配していると言うより怒っていましたね。怒りすぎて変な顔でした。母は普通に心配している顔でしたが。
そして救急車で病院に運ばれました。人生初めての入院を経験することになりました。
運ばれた先は所沢第一病院というところで、意地悪婆さんが亡くなり、後に父が亡くなった病院です。親子三代お世話になった宮本家と深〜い縁のある病院です。私はここで興味津々の入院生活を経験することになりました。その模様は次回。
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