この記事は私の人生を振り返ったものです。バックナンバーは『なぎさの作り方』で読むことができます。 前回は『27:初めての交通事故』についてお話ししました。
バイクは全壊したのでかなりの衝撃があったんだと思います。
私は大きな怪我はありませんでしたが、それでも左手首を骨折しました。その時思ったのが右手で左手を添えないとバランスを崩して歩けないことでした。スポーツ選手や格闘家がすごいなと思ったのはその頃からですね。彼らは骨折しても大丈夫なフリをするじゃ無いですか、あれは私にはありえないことです。
交差点の真ん中で転倒してバイクと一緒にくるくる廻ってバイクが車に突っ込んで、私は反対車線に投げ飛ばされたんですが、車に当たる前に転倒したのが良かったのかもしれませんね。左利きだから左に転倒したのでしょう。その時に複雑骨折をして。
手術は部分麻酔で行うはずでした。
部分麻酔ってどんな感じなのか興味があって、麻酔をしてからしばらく放っておかないと効かないようです。感覚がなくなるのがいつなのか知りたくってずっと左手をグーパーってやっていたら全然効かなくって、看護婦さんに怒られて結局全身麻酔になりました。その後の記憶は病室に戻った時です。結構強めの麻酔を打たれたのかもしれませんが、物凄い吐き気に襲われてかなり暴れたのは覚えています。左手首にボルトを何本も入れました。
入院とか手術とか当時の私にはちょっと刺激的で、多少ウキウキしていました。一通りのことが終わって時間が空いた時に、友達にかたっぱしから連絡して大いに話したのを覚えています。
入院は一週間でしたが、その間に事故の相手側とか保険屋とか、警察との話をしたり暇だと思うことはなかったです。事故は100ゼロってことはないので、結果9対1でほぼ私が被害者という形になりました。確かにあの交差点でコンビニの駐車場からいきなり車が出てきたのでその当たりが認められたんだと思います。自分が着ていた服とかバイクの金額や全ての破損したものは90%先方の負担になります。私の場合洋服はかなり破れましたし、ライダーブーツもボロッボロになったのでかなりの金額が請求範囲となりました。そして慰謝料も支払われたのですが、これはだいぶ経ってからイタリアの資金に当てられたんですね。
入院中に凄く忘れられないことがありました。
おっさんが結構入院されていて、私はそのおっちゃん仲間と仲が良かったんです。夜中も話し相手になってくれるし。で、ある日サッカーの試合をみんなで見ていたんです。これがどんでん返しのエラい試合でして、
ドーハの悲劇と呼ばれたあの一戦です。
1993年10月28日という日付は簡単に思い出せませんが、あの時に私は入院していておっちゃん連中と一緒にサッカー観戦していたんです。あの試合はぶったまげましたね。ドラマのような展開で誰もが嘘だろと思ったあの歴史的瞬間、日本はヘタ打ってワールドカップに行けなくなり、私はバイクでヘタ打ってギブスを巻いた懐かしい出来事でした。
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