みなさん、こんばんは。
中央市場でーす。
日本人がイタリアに住もうとして来るとき。それは留学だったりってスタートが多いのではないでしょうか。ところが外国人の中には出稼ぎというか『生きるため、お金のため』、もっとモチベーションが違った形のケースを沢山今までも聞いてきました。
私の知人のお話をします。
18歳でイタリアに渡った少年。コックとして働き続けた8年間をフィレンツェで過ごしています。年に一回実家に帰って、それ以外はひたすら働く生活。そんな忙しい中で生涯の伴侶を得ることもできました。
たまたまフィレンツェに留学していたアメリカ人の女の子と結婚したのです。彼女は留学後もフィレンツェに彼と一緒に住み続けています。
仕事も夫婦ともに順調な中、ある決断をしました。
『アメリカに行くことにしたんだ』
奥さんの地元であるカリフォルニアへ移住することにしたそうです。2月いっぱいで仕事を辞めて、引越しやビザの手続きなどに時間を使うんですって。彼にとってはイタリアだろうがアメリカだろうがただの働く、生きるための場所に過ぎず、大きく環境が変わったり精神的なハードルが高いようには思えませんでした。むしろ彼らにとってイタリアはお互いの国籍ではなく、奥さんの家族の近くで生活するのは心強く感じたのではないでしょうか。10代でイタリアへ、20代でアメリカへ。とてもフットワークが軽いようでも、そこに希望や夢があるから色々判断してのことでした。
私としては寂しいですが、若い2人の決めたことですもん。どうかうまくいきますように、お幸せにって心から願うばかりです。
ガイド仲間もそうだけど、本当に簡単に別の国に行っちゃうんですよ。
で、また戻ってきたりとかもありますし、でまたどっか行っちゃったりってのもありますし。そんな話をしたりするのも好きですが、こういうエピソードが私にとっては楽しみであると同時にそれでいいんだって思うのです。無理くり日本からイタリアに来ちゃった身としては彼らほど流動的ではありませんが、理解できるし応援したいってのは本音です。
このフィレンツェって小さな町にやって来てまた出ていってしまった人でも戻ってこなかったり、またどうしているのかなって思うこともあります。なんとなく元気にやってるんじゃないかと感じるんですよね。
『新しい世界が見たくなったの?』
そう尋ねた私に笑顔で応えてくれたけど、本当のところはどう思ってるのかな…
彼はアルバニア人。イタリアにも沢山住んでいますけど、彼らの国から来る若い人たちが多い。少年期、どんな想いで単身イタリアに来るのかは彼らのお国柄であり、それが当たり前の中で現在の今があるんでしょう。逞しいと思いつつ、地続きってこういうことなのかしら?
日本からとはまた違った何かがあるんだろうなって深く考えてしまうのです。