パドヴァの植物園を堪能した後は、まずここを出ることね。
さて、どこ行こうか。地図を見るとプラート・デッラ・ヴァッレが近いので寄りたいのですが、その前にあっちも行っとこう。
植物園から見えたココ。あそこに行くぞ。
ここからはもう地図に頼らず、恐ろしくも進歩のない私の勘を信じて歩いてみます。
思った通りプラート・デッラ・ヴァッレは奥に見えます。これはパドヴァの有名な広場です。しかし広場の手前には露店の屋根が沢山見えますね。気になるものの、アッチを先に行って再び広場に向かうとします。
サンタ・ジュスティーナ聖堂(修道院)です。聖ジュスティーナ(ユスティナ)は裕福なパドヴァの家系に生まれましたが、時はアンチキリスト教徒のディオクレティアヌス帝がいるまさに迫害の絶頂期でした。棄教を断ったため殉教した彼女のためにここに教会が作られ、12世紀にジュスティーナの聖遺物も見つかっています。聖ジュスティーナはパドヴァの4人の守護聖人のうちの1人です。
ファザード、本当は大理石にしたかったそうよ。でも茶色い建物の色合いとドームの薄い色と均衡が取れていて綺麗だと思うのですが。
ちょうどシエスタが終わって中に入れる模様です。
三廊式の内部は外部からの光をとても多く取り込んでいて明るいです。奥行きが122m、この教会が大きいことがわかりますね。ここは1810年、ナポレオン・ボナパルトによって軍の兵舎と病院として使われ、1919年に修道士に戻されてから1943年に再び修道院として再建されました。
16世紀に大きく増築され、17世紀前半に彼女の聖遺物が祭壇の下に埋葬されました。
ありがたい場所ではありますが、ちょいと座らせてもらいます。
修道士のおじいさんがここを訪れている人たちに声をかけていっています。順当ならこの後私のところにも声をかけるかもしれない。
『こんにちは』
わからぬフリをするよりは、挨拶はしたほうがいいと思いました。
『こんにちは、あなたは何をしているのですか?』
『いえね、これからどうしようかって。出発まで2時間ほどあるので』
『そうなの?ここからどこに行くのかな?』
『フィレンツェに帰ります』
『じゃ電車でだね』
『いいえ。バスで戻ります』
そうよね。普通に考えたら電車で来たと思いますし、電車で帰ると思うのでしょう。まさかバスとは思わなかったようで、微笑んで頑張ってと声をかけられました。
最後に福音記者である聖ルーカのお墓を拝んでいきます。左身廊に表示があります。
聖ルーカはシリアのアンティオキア出身で84歳でテーベに埋葬されたと言われています。彼の遺骨は4世紀半ばにコンスタンティノープルに運ばれ、後にこの修道院に運ばれたことになっています。1997年に石棺が開けられ、人骨が発見されています。いつ、どうやってここに運ばれたのか歴史的調査と正確なデータはまだまだこれからです。
教会を後にし、目の前にのぞむプラート・デッラ・ヴァっレの広場に目を向けます。
そっちに行ってみます。
露店はぐるっと並んでいますが、時間が時間なので人混みは既に落ち着いていました。
この特徴的な町のシンボルと癒しの場所にお邪魔します。
つづく