プラート・デッラ・ヴァッレ(Prato della Valle)。パドヴァで一番大きな広場です。
本来の計画ですと88体の彫像が並ばれているはずが、現在は78体を見ることができます。残りの10体分の場所には8つは台座にオベリスクが取り付けられ、2つは何もない状態です。内輪38体、外輪40体の著名人の彫像があります。これら彫像は18世紀から19世紀にかけて作られました。
で、島の中心を交差する形で通りが伸びていて、均衡の取れた楕円形の人工運河となっています。そう、メンミア(Memmia)島というのがこの広場の名前。
ローマ時代はここに巨大なザイロと呼ばれる劇場があり、見本市やお祭り、馬上槍試合、競馬などが行われていました。
現在は8月中旬に音楽や花火などのイベントで盛り上がります。広さは88,62㎡あります。
以前にもお話しした聖アントニオ(リスボン1195-パドヴァ1231)はここで説教をしました。またパドヴァの4人の守護聖人のうちの聖ジュスティーナと聖ダニエレはここで殉教したそうです。
そもそもサンタ・ジュスティーナの修道院にここは属していました。しかし1761年、修道士たちの主張に反してヴェネツィア元老院はここを町のものと決めてしまうのです。その後ナポレオンの登場などでバタバタしたことは昨日お話しした通りです。
イタリア統一(1861年)以降にヴィットーリオ・エマヌエーレ2世広場と呼ばれました。
木が多くて草が少なかったことから『草のない牧草地(Il ptato senza erba)』と言われましたが、現在はオリジナルの木を一本残して現在は草で覆われた形を観ることができます。実際19世紀の年代記では植えられた100本のプラタナスがあったそうです。
お弁当を開いて食べたり、車の通らない草の上で子供たちが遊んだり、なんかのどかだな。
毎週土曜日には市場が開かれ、160店舗以上が軒を並べて賑わいます。特に重要なのは6月13日のFiera di S .Antonioです。
私が行った日は日曜日でしたが露店も多く出ていて散歩がてら見ていました。食べ物だけでなく、スカーフやジュエリーなどを扱うお店などジャンルは様々。食料品に関してはカラブリアやプーリア、ボローニャなどからの名前も見かけます。シチリアのお店も多く、アランチーニと呼ばれるライスコロッケが好きなので一つ摘めないかと思いきや、さすがに時間が遅すぎて売り切れでした。残念ですが、諦めよう。
多くの子供連れが多いのは子供が遊べるところが沢山あったからなんですね。
親御さんと共に、また若い人たちが子供たちと一緒に遊んであげています。
これなら安心して過ごせるだろうなと思いました。
おそらくボランティアのようなイベントですね。
こういうものが定期的に行われるのはいいな。
それぞれのブースに子供たちが溢れ、独り占めしようものなら親たちが注意して
『みんなで遊ぼうね』
と一声かけて、トラブルもなさそう。ほっこりしちゃいました。
さ、ボチボチ駅の方に引き返しながらお散歩しますか。
つづく