みなさん、こんばんは。
ボローニャの有名な三本の矢がある建物の中を通り抜けましょう。
サント・ステファノ広場です。カーザ・イゾラーニの反対側はオレンジ色の綺麗な風景が広がっていてオシャレ。
この広場は14世紀に幾つかの家屋を取り壊して広場が拡大され、地面が舗装されて現在のようになったそうです。
そして、サント・ステファノのバジリカがあります。
これは『7つの教会』と呼ばれる複合宗教施設になっています。現在は4つの教会しか残っていませんが、名前はそのまま使われています。十字架教会、聖墳墓教会、聖ヴィターレ教会と聖アグリーコラ教会。
聖ペトロニウス(5世紀に活躍したボローニャの司教であり、現在のボローニャの守護聖人)によって異教の寺院(エジプトの女神イシスに捧げられた神殿)の廃墟の上に建てられました。このプロジェクトにはエルサレムにある聖墳墓のコピーを作ることも含まれていました。そもそも当時のローマ法皇(43代)、チェレスティーノ1世の夢に現れた聖ピエトロがペトロニウスに教会を作るように命じたのだとか。聖ペトロニウスは高い社会的地位を捨てて聖職者になった人です。青年期から修道士としての訓練を受け、エジプトで隠者として生き、エルサレムにも訪れたそうです。そのことからボローニャにエルサレムを作ることを決めたのかもしれません。
聖墳墓とはイエス・キリストの体が安置された岩に彫られたものです。それらをここで聖ペトロニウスは再現したかったのでしょうね。
十字架教会はランゴバルド族に起源を持ち、彼らによるボローニャ征服後の8世紀に遡ります。
どの教会も古いことがわかります。
聖ヴィターレ教会と聖アグリーコラ教会がここで一番古い教会です。なんと5世紀まで遡ります。これらはミラノのアンブロシウス司教の命令によって作られたものです。
ピラトの中庭と呼ばれるところがあります。ピラトはローマ帝国のユダヤを治めた総督で30年ごろキリストを処刑した人です。ユダヤ人がイエスの解放を3回拒否した後にピラトが手を洗ったことから『ピラトの洗面器』と呼ばれるものが置かれていますね。
聖墳墓のコピーは忠実に行われたそうです。
複製とはいえ、はるか昔に作られたものですから趣や重厚感は伝わってきますね。歴史と時間の中で人々に魅了される理由がわかりました。
訪れる人々が列を成して並んでいます。
ひざまづいて中に入りますが、私には時間がなかったので次にまたゆっくり訪れることとします。
何には何があるのかは皆さんで確認してみてください。
ちょいと急ぎましたが、バスの時間が迫っています。
これからバスターミナルへ向かってフィレンツェに戻ります。
次回は最終回と総括です。