Duomo di Palermo
パレルモを話すとなると1130年にシチリア王国の国王になったルッジェーロ2世(1095-1154)の名前がよく出てくるのですが、その息子がグリエルモ1世(第2代国王)でその息子がグリエルモ2世(第3代シチリア王)。そのグリエルモ2世の治世に1169年の大地震が起き、彼の時代にこのドゥオモの再建が始まりました。
シチリアは多くの民族が支配した非常に複雑な文化を持っています。確かにアフリカも中東もそれなりに近いのよね。初期キリスト教時代(4世紀)にはすでに大聖堂がパレルモにはありました。ヴァンダル族の迫害により5世紀半ばに大聖堂は破壊され、590年に聖グレゴリウス大帝が建てた聖母マリア聖堂もサラセン人占領中に改修されて大きなモスクになってしまいます。ノルマン人の出現により教会は元のキリスト教に戻り(1072年)ました。混乱しかありませんね。
で、地震よ。再建中にグリエルモ2世は亡くなり、それでも再建は終わっていませんでした。
ドゥオモの入り口には被昇天のマリアに捧げられたドゥオモの入り口上部に聖母子像のモザイクがあり、迎えてくれます。
内部はラテン十字の明るい感じがしました。日本人観光客のグループもいましたよ。シチリアでもようやく日本人ツアーが再開されているようです。
そういや昨日もお話ししましたが、聖ロザリアはグリエルモ1世の治世、シチリア王国時代の1130年から1170年までパレルモに住んでおり、伝説によると王の妻であるマルゲリータ王妃の花嫁付き添い人(侍女)だったようです。アラブの支配が中断された後で、ノルマン王によって歓迎されたビザンティンと西洋の修道院主義の復活を特徴としたキリスト教が盛り上がった時代でした。13〜15歳頃の彼女は国王に従順で褒美としてあるバルドヴィーノ伯爵と結婚するように言われたものの拒否して修道院生活に入ってしまいます。さらに洞窟で12年の隠遁生活ののち8年のペッレグリーノ山で生涯を終えます。40歳でした。
そう。
パレルモ人によってサントゥッツアと呼ばれている聖ロザリアは1624年に疫病からパレルモを救った町の守護聖人です。1624年7月15日にペッレグリーノ山で発見された彼女の遺骨はドゥオモに保管されています。この山、パレルモ港に到着した際にわたしたちを迎えてくれた山です。そっか、あの神聖な山は別の意味で信仰としてもパレルモ人には大切なんですね。高さ609mと決して高いものではありませんが、非常に険しいそうです。
直接的には私のスマホを直してくれたのは宿のおっちゃんですが、もっかしたらロザリアさんのお陰なのかな。
ちょいと凹んでいたのでスマホが元気になってくれてよかったよ。
ありがとう、無事に画像をとれてブログに載せられるし、思い出もできました。
信仰心は相変わらずないけど、こういうの好きよ。聖遺物にお礼をしてみた。
また大聖堂にはボローニャのアレほどの大きさはありませんが日時計もあったぞ。
内部には大聖堂の模型があったので、じっくりグルグル回って見てみる。模型っていいね、鳥になったみたいだ。
やっぱしこの町にはロザリアって名前の女性がたくさんいるのだろうか?