広場に黒猫がいました。
可愛いな。モンレアーレのニャンコです。
パレルモ、インディペンデンツァ広場。ここから乗れる389番のバスに乗るべく待っています。
バスのチケット売り場も近くにあるので時間を含めて購入します。
時間割も貼ってあります。多くの観光客が乗るこのバスはモンレアーレ行きです。バスチケットは片道1.40ユーロか一日券3.50ユーロとあります。往復だけなら片道を2枚買った方がいいし、他にも行きたい場所があって使いたいなら一日券の方がお得です。
バスは程なく市街へ進み、高台へと進みます。所要時間は20分もかからないくらいで到着。
随分景色のいい場所に着きました。そこから緩やかな道のりを5分ほど歩いて上ります。モンレアーレは人口4万人弱の町です。こちらの大聖堂も2015年に登録された世界遺産です。
シチリアっていうのは朝からバールにアランチーニが並んでいるが、朝からガッツリ食べたい人には嬉しい文化ですね。
私はカップッチョとクロワッサンを頂きました。外のテラスでのんびり過ごしながらドゥオモが開くのをゆっくり待ちます。
これがモンレアーレのドゥオモの正面です。
ここの建物は複合施設でした。ベネディクト会の修道院と王宮(16世紀末に改築され、大司教の神学校)も兼ねたもので、1172年頃にグリエルモ2世によって建設されました。伝説によると夢の中に現れた聖母が、父親(グリエルモ1世)が隠したお金で教会を建てるように提案しその金の場所を示してくれたそう。父ちゃん、へそくりが教会建設に消えた。親父が作らせたパラティーナ礼拝堂より壮大でなければ行けませんでした。そのために資金を惜しむことなく、優秀な職人たちが雇われたといいます。大聖堂はノルマン式であるものの、後陣はイスラム式を採用しています。相変わらず文化ミックス、これがパレルモなんだ。
グリエルモ2世はIl Buono(善人)というミドルネームがついている君主と呼ばれていますが、大切なことなのでもう一度伝えておきましょう。原資は親父のへそくり…
これがモンレアーレ大聖堂の後陣です。あれ、どっかで見たような.
ちなみにこっちがパレルモ大聖堂の後陣。似てますね、流石に。でもちょいと違うか。
ドゥオモの広場にはカラビニエーリが正装でなんかの用意をしている。
おお、何かあるんだな。かっこいいな。理由は後ほど。
まずはチケット売り場へ。団体観光客がどんどんドゥオモに引き込まれていく。おそらくドゥオモを見学した後にすぐパレルモに戻るんだろうな。私たちはのんびりしていこう。
実は3人の若いカラビニエーリが暗殺されました。1980年5月3日、カラビニエーリ将校で麻薬密売を追っていたエマヌエーレ・バジーレが妻と4歳の娘とモンレアーレの花火大会に参加しようとしたところコーサ・ノストラ(シチリアマフィア)に銃撃され亡くなります。3年後の1983年6月13日、モンレアーレのカラビニエーリであるマレオ・ダレオ大尉とピエトロ・モリチも同様にコーサ・ノストラに殺害されました。その暗殺40周年の記念式典をここで行うということらしいのです。大事な式典のために、若き現在のカラビニエーリが参加することによって、この悲劇を忘れないという強い想いが伝わってきました。
観光客たちが上を見ながら教会の内部に感嘆しているところ、私はカラビニエーリのリハーサルをじっと見ていました。
外で用意をしていた彼らが教えてくれた、40年前の出来事。全然知らなかった…
亡くなった3人は金メダルを授与されたけど、友人家族に戻ってこない大切な命。
40年って遠いようで、苦しい時間はずっと続くんだろう。私はフィレンツェで街ブラしているカラビニエーリとかしか見ちゃいないから、彼らカラビニエーリの存在があまり強く感じていませんでした。しかし市民を守るため、治安が悪くならないように強い意志を持って職務を全うしているんだなって考え直す機会にもなりました。
シチリア=マフィアの国というイメージは払拭されたように感じる今日。
しかし現在もコーサ・ノストラは存在し、彼らとの闘いはまだ続いています。セレモニーは亡くなった親族と全国カラビニエーリ協会の代表者が参加したということです。心を落ち着けてから教会を観る事にしました。
つづく