みなさん、こんばんは。
サン・ジュストの丘から見えるアドリア海、トリエステ湾が遠くに見えます。
トリエステはイタリア半島の付け根にあるので他の国とかなり近いです。よってそれぞれの国がこの地は自分達のものだと言い合い、コロコロと国名が変わった不思議な町です。
フランス革命に感化されてイタリアも統一しようぜと動き出し、ジュゼッペ・ガリバルディって兵隊さんとヴィットーリオ・エマヌエーレ2世って王様とカミッロ・カヴール伯爵(後のイタリア王国初代首相)などにより、イタリア王国が建国されたのは1861年。その時に統一できなかったいくつかの地域を『未回収のイタリア』といい、その地域のうちの一つがトリエステでした。当時トリエステはオーストリア・ハンガリー帝国の支配下にありました。イタリアは第一次世界大戦で戦勝国になりようやくトリエステはイタリアのものとなりました。勿論言語はイタリア語を話しますが、町を歩くとフィレンツェではなかなかお目にかかれない青い目の住民を見かけることがよくありました。
町は新市街と旧市街があり、旧市街は道が多少ごちゃごちゃしたこの辺りらしい。新市街は道路が格子状に走って、非常によく整備されています。歩行者天国もちょいちょいあるので街歩きには向いているかもしれません。
サン・ジュスト教会の隣にある同名の城。
14世紀、トリエステはヴェネツィアとオーストリアと長年の戦争をしていて、疲れちゃったトリエステはオーストリアの支配下になることを決めました。1468年、神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ3世がこの町の一番高台にある場所に要塞のような建物を作れと命令するんです。しかも市民の費用で。3年ぐらいで建物ができて、さらに1508年から130年ほどかけて要塞が作られました。
中に入ろうかと思いましたが、1時間以上もここで開館時間まで待つことはできません。
渋々丘を降りることにしました。
せっかく必死に登って来たのに、降りないといけません。
なんだかすごく長い階段だな。最近私は足の怪我が怖くって階段を降りるときは少々気をつけています。
【9時00分】
わかりにくいんですが、左側の建物がメルカート・コペルトです。確か8時から開いています。
メルカート=市場ですが、こればっかりはそこに行ってみないとどのくらいの規模だか内容だかはわからないです。だからとりあえず行ってみる。
あー、これは私が思ってたのとちょっと違ったかな。
八百屋さんしかありません。私は魚を探しているのです。魚、どこじゃ。
ということでジモティーに訊く。
『あ、隣にあるよー』
隣ですか。じゃ行きましょうか。
市場のお隣にあった。
市場じゃないが、ちょっと大きめな魚屋さん。みんな使っているみたいです。
よし、そろそろツーリストインフォメーションセンターが開いてると思います。ウニタ広場へ向かいます。
【9時40分】
時代によって名前が変化していったウニタ広場。1918年、第一次世界大戦後にイタリアに併合されたことでウニタ(統一)広場と名付けられます。しかしその後トリエステはイタリアとユーゴスラビア間で領土所有の一悶着が起きます。第二次世界大戦後、トリエステの北部は英米軍、南部はユーゴスラビア軍が統治し、国連の承認により1947年にトリエステは自由地区という特区になるんです。みんな大好きトリエステ、みんなが欲しいトリエステだったようです。トリエステ自由地区は1954年まで続き、ようやくイタリアに帰ってくるのに丸7年かかりました。
そこで1955年にそれを記念してイタリア統一広場(ウニタ・ディタリア)と広場の名前はさらに変更され現在に至ります。今回は長ったらしいのでウニタ広場と呼びます。
ま、イタリアは都市国家だから昔はどこも国境が沢山あったわけですが、イタリア王国になってからもトリエステは他国と接しているため、不安定な状態がずーっと続いていたんですね。
今思うとそこら辺にいる暇そうなおじいちゃん捕まえて昔話でも聞いておけばよかったです。
こちらもよろしくお願いいたします🙇
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中央市場に来たい人は、