みなさん、こんばんは。
ヴェネツィアに行こうとフィレンツェからバスに乗った私たちですが、バスの不具合により最初の停留所であるボローニャで何と足止めを食うことになりました。新しいバスを用意してここから出発できるのは何と14時半、それが変更になり15時だとスマホアプリとメールにも来ました。最終的なヴェネツィア到着は17時10分。これじゃヴェネツィアでの滞在時間は1時間半ほどしかありません。
私はボローニャでのんびりすっかぐらいに考えていましたが、友人がこんなことを言い出します。
『あれ?電車で行けばいいんじゃない?』
!!
そっか!その手があった。友人はHPの作成中で、どうしてもヴェネツィアのカーニバルの雰囲気の画像が必要だったのです。
バスターミナルと電車の駅は歩いて数分です。
【09時06分】
ボローニャ中央駅に到着。
トレニタリアの時刻表を調べてみます。
10時10分発があります。いいじゃん、これ。ちなみに9時10分発もありましたが、切符買って走ってってのが頭に浮かぶ。そこまでしたくないので却下した。私がそう言い切ったのはボローニャ駅独特のプラットホームの並び方なんです。
ボローニャはハブ駅です。
番線も多いですし、ちょっとだけ複雑なんです。それを知らなかった友人は是非その辺も確認したいと1時間あるのでゆっくり説明していきました。
ボローニャ中央駅の導線はガイドの仕事をしていたら知っておいた方がいいということで、高速鉄道が地下かなり奥にあることとかもする探検タイムに入りました。
大人しく10時10分発のチケットを買いました。
小休憩します。ボローニャ中央駅の複雑さを知って目からウロコのようでした。友人は今後の仕事の参考になると喜んでいました。
『ボローニャ駅見学できてよかった』
そっか、じゃもう少し見学します?
ボローニャ中央駅は悲しい事件がありました。
1980年8月2日の爆破テロ。85人がお亡くなりになり、200人以上の負傷者となった大規模テロでした。その結末もモヤモヤするもので、果たして誰もが納得できるのかわかりません。正面駅向かって左側にはその時に亡くなった方の名前と年齢が刻まれており、その85人の犠牲者の中には日本人だろうと思われるセキグチイワオさん(20歳)の名前も見受けられます。若者の旅行中だったのでしょうか。ほとんどの名前はイタリア人です。たまたま訪れたのか巻き込まれた悲しい物語です。画面向かって左側、下から11列目に名前が記されています。
このテロに関してはまたの機会にお話ししようかと思います。
こちらがボローニャ中央駅の正面口です。
その左側に見える、赤枠で示させていただいている時計はボローニャの人々にとっては誰もが知っているのかもしれません。
10時25分、爆発が起きた時間です。
この事件を忘れないために、わざとこの時間に止めているんです。
よくあるイタリアの時計、どこも合っていない的な理由じゃない。これを見ることで、風化を防ぐ役割を果たしています。
また別の記念碑もあります。
第二次世界大戦後に沢山の亡命者を運んだのがこの駅から。
この前私が行ったトリエステが含まれるイストニア半島、ダルマチア半島(現在のクロアチア)や、イタリアで暴力のため家を失った人々、ユーゴスラビア社会主義で罪のない被害者たち、ファシズムで苦しんだ方々を運んだ歴史をここに知ることができます。
さて、私たちの乗る電車は早々に番線も出ていながら20分の遅延を伝えていました。
ちょっと風と寒さを避けるため地下に潜ります。
ようやく電車が到着します。
これでバスより早めにヴェネツィアに着けそうです。
2時間超のぷらぷら旅です。
これもまた楽しい!!
こちらもよろしくお願いいたします🙇
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