みなさん、こんばんは。
オルヴィエートのドゥオモはカトリック教徒にとってどれだけ重要なのか。
それは昨日ちょこっと触れた『ボルセーナの奇跡』にあります。ボルセーナはラツィオ州ヴィテルボ県にある湖沿いの町です。
ところで、ピエトロ・ダ・プラガというボヘミア(現在のチェコ)司祭がローマへ向けて巡礼に行きました。1263年のことです。
最後の晩餐でキリストは弟子たちにパンを取り『これは私のからだだ』と言い、ワインの入った杯を取り『これは私の血だ』と言いました。
ピエトロ司祭はその聖体変化に疑いを持っていて、それを払拭するためにローマにある聖ピエトロのお墓参り巡礼に行ったのです。ローマを訪れた後に司祭はボルセーナに訪れ、その翌朝彼はミサをサンタ・クリスティーナ教会で行います。そのミサで聖体であるパン(オスティア:平べったいお煎餅みたいなもの)から血が滴ったのです。そしてそのパンを包む聖体布も赤く染め、祭壇の階段や教会の床もその赤い雫が落ちました。
当時オルヴィエートに滞在していたローマ法王ウルバーノ4世(182代 在位1261-1264)はその驚くべき出来事を知って、オルヴィエートの司教にボルセーナへ遣わせて何が起きたかを確認させました。司教はピエトロ司祭からその事実を知ります。法王はその聖遺物をオルヴィエートに持ってこさせます。1264年8月11日、法王はこの奇跡を宣言しコルプスドミニ(Corpus Domini)というキリスト教の祝日に制定したのです。
ボルセーナからオルヴィエートへこの聖体布を移動させている途中、トリニタ(ウンブリア州テルニ県)という町の近くで道に大きな岩がありました。しかし岩はパッカリと割れ、通行が可能となりました。
その石はトリニタに現存し、今でもそのことが刻まれてあります。
そして聖体布はオルヴィエート大聖堂のコルポラーレ礼拝堂に保管されています。
ボルセーナからオルヴィエートは現在23kmくらいの距離で、トリニタはオルヴィエートからわずか6kmほどのところの町です。
注)画像の所用時間は車です。歩くと6時間かかるとグーグル先生が教えてくれました。
ボルセーナのサンタ・クリスティーナのバジリカは11世紀後半に建設が始まり、15世紀に完成しました。この奇跡の舞台です。
聖クリスティーナは貴族の娘で、3世紀に生きた人ですが、キリスト教の迫害が酷かった時代ですね。両親も棄教させるため、酷い暴力を振るいました。体を傷つけられながらも彼女の信仰心は止まらず、奇跡がその度起きます。しかし最後に2本の矢でとうとう絶命してしまいました。そんな聖女の聖遺体はここに眠っています。
オルヴィエートのドゥオモの話から随分ずれてしまいましたが、関連事項も全て合わせてお話しできたのは良かったかなと思います。
とにかくこの大聖堂はカトリック教徒にとってとっても重要だとお分かりいただけたでしょうか。
最後に主祭壇手前にあるピエタも拝んでおきます。
オルヴィエート出身の彫刻家で建築家のイッポーリト・スカルツァ、16世紀後期の作品です。聖母マリアに抱かれたキリスト、右手に跪き悲しむマグダラのマリア、後ろにはニコデモが立っています。やっぱりピエタ像は少し低い位置から見上げるこの高さが神々しくっていいですね。
しかし、ピエトロ司祭さん、オスティアから血が滴ったの見てさぞ驚いたことでしょうね…
こちらもよろしくお願いいたします🙇
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