みなさん、こんばんは。
昨日、オルヴィエートの回を終わりましたが実はその後アッシジに行って来ました。
オルヴィエートとアッシジも微妙に時間がかかります。
アッシジ着いた!
ヌォーヴァ門から入場します。
本当は明日のパスクエッタに行きたかったのですが、宗教的な意味合いもあって混雑や入れない場所もあるんじゃないかと思って1週間前に訪れました。
特に今年はジュビレオですから、そうしました。2000年に世界文化遺産になりました。
『アッシジ、フランチェスコ聖堂と関連修道施設群』だと。
聖キアラ教会。
この世界遺産のアッシジで身を清めていきます。
アッシジの聖キアラは1194年に生まれ1253年8月11日に亡くなりました。1255年には早くも列聖されています。
1987年に彼女の亡骸は科学的な確認が行われた後にここに納められています。
中は写真が撮れません。人によっては撮る人もいますがダメです。
12世紀の終わり、アッシジの市民は貴族とそうでない人の二つの階級に分けられていました。
そして聖フランチェスコは市民階級、聖キアラは貴族階級に属していました。
キアラの両親の家は聖ルフィーノ大聖堂のすぐ近くでした。
キアラの母オルトラーナがキアラを孕っていた時のことです。彼女は祈りの最中にそのお腹の子が大変偉大な人になると予言する神の声を聞きました。
キアラの母はキアラにあらゆるキリスト教の教育をします。
キアラは聖職に就くことを決心し、聖フランチェスコの元へ会話をしました。
ところがキアラの両親は彼女の修道院入りに反対します。
キアラはサン・ダミアーノ修道院の院長になりキアラ女子修道会の会則を作成しました。のちにキアラ会の修道院ができます。
聖フランチェスコが亡くなる前、最後にサン・ダミアーノが訪れた時のことです。彼が教会に入り、灰を用意させると残りの灰を頭の上に振りかけました。そうすることで彼はキアラと修道女達に世俗の道に入らなければならないことを示したのです。
聖フランチェスコはポルツィウンコラで息を引き取りました。
キアラと修道女達は聖フランチェスコの死後も教えに忠実でありました。
あらゆる苦行のためにキアラの肉体はすっかり痛めつけられていました。
29年間、神への愛の為に耐え抜きましたがもうこれが最期の時です。
法王イノケンティウス4世などと病床に伏すキアラに面会が訪れます。
厳粛なる葬式の後、キアラの遺体はサン・ジョルジョ教会に埋葬されました
そして1255年8月12日キアラは正式に聖人となりました。
こちらもよろしくお願いいたします🙇
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