みなさん、こんばんは。
今回の旅です。
聖フランチェスコはシエナの聖カテリーナと同じくイタリアの守護聖人です。
フランチェスコは1181か1182年にアッシジの裕福な商人の家に生まれます。キリストと同じく馬小屋で生まれたそうな。
若い頃は他の若者と同じく、お金もあったことからそれなりに楽しんで暮らします。当時は皇帝派と教皇派に分かれて対立していました。アッシジは教皇派の都市で、18歳の頃にペルージャとの戦いに参加して敗れ、捕虜になります。
アッシジに戻った後、大病を患った頃から彼の中で少しずつ気持ちの変化が出てきました。
スポレートに泊まった際、キリストの示しに出会い神のために生きようと決めます。アッシジのサン・ダミアーノ教会で祈りを捧げていた際に十字架から声が聞こえます。1206年のことです。この年父親とも決別しています。
『フランチェスコよ、私の倒れかかった家を修復せよ』
そこでフランチェスコは家を教会と考え3つの教会を修復しました。それはサン・ダミアーノ教会、サンタ・マリア・デッラ・ポルツィウンコラ教会、サン・ピエトロ・ディ・スピーナ教会です。しかしその声の真意に気付いたのは数年後となります。
いつものようにポルツィウンコラ教会に修復に行くと神父から福音書の一節の説明を受け、私の家の真意が全ての人の心の中にある精神的な意味だとわかりました。全ての財産を投げ捨てて貧しい生活に徹して生きることとなりました。
1210年、28歳の時にローマ法王より『小さき兄弟会』という修道会の認可を受けます。フランチェスコに共鳴して集まった人は12使徒と同じ12名でした。
フランチェスコの活動はイタリア国内だけでなくトルコにも行きます。
1212年、聖キアーラをはじめとする女性のための修道会『クララ会』が創立されます。
1224年9月17日、ラ・ヴェルナ山でキリストに倣い40日の断食と黙想をしていました。その時にスティグマ(聖痕)を受けます。フランチェスコには両手両足と脇腹に5つの傷が出来ました。
様々な奇跡を起こしたフランチェスコですが、1226年10月3日、サンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会で亡くなりました。
1228年7月16日、ローマ法王グレゴリウス9世によって列聖されました。
聖フランチェスコ大聖堂です。
聖フランチェスコの生涯をギューっとまとめてこんな感じですが、もっと実は奥が深いのよ。
でもそんなんやってたらいつまでも終わらないので先進みます。
ここが入り口です。
ここも写真不可です。ガイドさんはイヤホンを使って話はできますが、たとえお客さんが二人だったとしてもイヤホンを使わないといけません。非常に厳しい中での教会の内部を見ることができます。地下に行くと聖フランチェスコのお墓参りができます。
上階には有名なジョットのフレスコ画、下階にはチマブーエの有名な聖フランチェスコのフレスコ画や聖遺物もあって見どころが沢山!
とにかくフレスコ画で溢れていて、チマブーエ、ジョット、シモーネ・マルティーニなどのゴシック時期に活躍した画家の作品を存分に楽しめます。私が初めて訪れたのはいつの事だったかしら?その時か覚えてませんが、ここに司祭さんで日本の方がいらっしゃったんです。30代くらいの若い男性でしたね。詳しく色々教えていただいたのを覚えています。
1997年に地震により損傷したこの大聖堂は数年後には修復されて以前の姿を取り戻しました。
なんとも心が洗われる気分でした。
こちらもよろしくお願いいたします🙇
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