みなさん、こんばんは。

レッチェでーす。
またワイナリー行きます。
途中まで前日に行ったサラちゃんのワイナリーのルートでそっからちょっと遠出する感じです。
タクシーで30分、平坦な道をひたすら進むと小さな町に出て間も無くワイナリーに到着です。
ここはレッチェでは有名なワイナリーらしく、誰に聞いてもすぐにわかるようなところなのです。
入り口がよくわからず、お店の方に行っちゃった。ワイナリー見学の人はオフィスの入り口から入るようです。
3世紀以上前からレオーネ・デ・カリストス社のワインの歴史がここで始まります。
1665年、スペインのレモス出身のオロンゾ公爵がワイナリーを誕生させました。彼はこの地に魅せられ、このサレントの豊かなテロワール(土壌、気候、地形といった自然環境)を余すところなく引き出すべく、当時スペインに所有していた資産を全て売却してこのワイナリーへ投資をしました。彼は5,000ヘクタールの土地を購入し、新しい葡萄畑だけでなく、オリーブや小麦なども植栽していきました。
19世紀初頭にはバルクワイン(ワインを液体のまま大量の容器に詰めて輸出・輸入し、消費国で瓶詰めして販売されるワインのこと)をアメリカ、ドイツ、フランスから輸入し始め、1925年にはピエロとリセッタ・レオーネ・デ・カストリス夫妻によって自社でのボトリングが開始されました。そしてワイナリーにとって大きな分岐点となった1943年、ワイナリーを一躍有名にしたファイブ・ローゼスが誕生します。イタリアで初めてボトリングされ、輸出されたロゼワインとなりました。最初の輸出国はアメリカでした。
このロゼワインの誕生秘話は、第二次世界大戦の終戦間近、米軍の物資調達管理者であったチャールズ・ボレッティ将軍がこのワイナリーのロゼワインを気に入ったため、空のビール瓶に詰めて仲間の元へ持ち帰りました。それが評判となり大量の発注を受けたことをきっかけに当時の当主であったドン・ピエロは初の輸出を決断します。ロゼワインの名前は当時レオーネ・デ・カストリス家で5人の子供がいたということから、チンクエ・ローゼ(5つのバラ)とされていましたが、アメリカ向けだったため英語表記としファイブ・ローゼスと名付けられました。
最初に通されたお部屋にはアンティークが沢山あり、例えばこのシャンデリアは17世紀のものらしいです。
不思議なこの家具は赤ちゃんを乗せるためのものらしいです。私は穴が空いているのを見ておまるかと思ったら違うんですって。ワイナリーを案内してくださったロレダーナがゲラゲラ笑って違う違うと必死で否定されました。
1954年にサリーチェ・サレンティーノ・ロッソ・リゼルヴァが誕生します。その後約20年に渡りイタリア国内外での販売をし、70年代初頭にDOCサリーチェ・サレンティーノを獲得しました。そしてDOCを得たことで、他社も参入しエリアの知名度を上げました。
60年代頃からはピエロとリゼッタの息子、サルバトーレが国内外におけるワイナリーの著しい発展に貢献しました。現在ではその息子であるピエルニコーラがワイナリー当主を務め、約20年に渡り、ワイナリー全体の高い評価を維持しています。
シャルドネやソーヴィニヨン・ブランの国際品種だけでなく、土着品種であるネグロアマーロ、マルヴァシーア・ネーラ、ヴェルデカ、モスカート、アリアティコ、プリミティーヴォ、ススマニエッロなどを栽植しています。
現在はヨーロッパだけでなく、アメリカ、シンガポール、カナダ、ブラジル、オーストラリア、日本、中国、香港などに輸出されています。
年間平均生産量は250万本。すごい量!
ワイナリーの隣にはホテルも建てちゃって、なんか元気なワイナリーだな。
最後にワインと共にちょっとしたお食事が出ました。
もう少しのんびりしたかったな。
女優のようなロレダーナがワイナリーを案内してくれました。
劇場型で大変盛り上がりました。ありがとうございます。
こちらもよろしくお願いいたします🙇
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