みなさん、こんばんは。

レッチェのワイナリーLeone de Castrisを訪れた後に軽くバールでくつろぎます。
程よいところでタクシーを使ってレッチェのチェントロへ戻ります。
30分かかってやって来たんだから、帰りも30分かけて帰ります。時間が適当にあるのでレッチェ市内をブラブラ歩いてみます。
【Porta San Biagio】
レッチェは『南のフィレンツェ』と呼ばれているそうな。17世紀のレッチェ・バロックを味わえるとともに、町並みや美術芸術も楽しめると共に美食でも知られています。さらによ、人がいい、温厚な国民性だというからなんか完璧じゃない?
レッチェの期限は紀元前5世紀に遡ると考えられていますが、伝説によるとトロイア陥落直後の紀元前1200年ごろ、マレンニオによって築かれたとされています。ローマによる制服は経済と建築の著しい発展をもたらしました。マルクス・アウレリウス帝の滅亡に伴い、レッチェは徐々に衰退しました。ノルマン人が南イタリアに到来したことで町は再び栄華を取り戻し、サレント地方の後に州都となりました。
1463年からはナポリ王国の支配下となり、レッチェは重要性を増し、世界中の商人との貿易を発展させる活気ある文化の中心地となりました。
その後2世紀に渡り、サレント地方全体はトルコの襲撃や南イタリアへのサラセン人の侵攻によって幾度となく脅威に晒されました。そのためカール5世の治世下は新たな城へきと白が気づかれました。カール5世はレッチェを最も重要なバロックの都市の一つとして真のサレント・ルネサンスの時代を切り開きました。
イタリア統一後、数々の公共事業によってレッチェはさらに独特の景観を築き、城壁の外側への拡張や新古典主義、新ムーア様式、そして新ごしっくようしきの新しい地区の創設が行われました。
【Chiesa di San Matteo】
フランシスコ会第三修道会に属するこの教会は1667〜1700年にかけて15世紀にあった以前の建物の跡地に建てられました。擬楕円形の平面と装飾が特徴的ですね。ローマ・バロック様式だとか。
【Teatro Romano】
レッチェ中心部、サントロンツォ(Sant'Oronzo)広場に位置するローマ円形競技場は20世紀初頭に発見されました。
ちょっとこの辺で今日は失礼します。明日はこの続きです。
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