みなさん、こんばんは。

レッチェの遺跡とローマ劇場です。
この遺跡は19世紀後半にはすでに知られていましたが、20世紀初頭、レッチェ市中心部の抜本的な都市再開発の一環としてその存在が明らかになりました。この再開発にはイタリア銀行ビル建設のための取り壊しなどが含まれていました、考古学者コジモ・デ・ジョルジによって1900年に開始され、1940年まで続いた考古学的発掘調査により、現在見られる円形闘技場の部分が街に復元されました。
剣闘士の試合や狩猟のために建てられたこの建物の年代については、未だ議論が続いていますが、最も広く受け入れられている仮説は元の構造はアウグストゥス帝時代に遡るというものです。その後、スンマ・カヴェア(洞窟の玄関)の建設などその後の修復と改良はハドリアヌス帝時代に行われたと考えられています。
中世初期には円形競技場の遺跡は街の要塞の一部であったと考えられています。装飾要素の削ぎ取りは少なくとも11世紀には始まっており、、オートラント大聖堂の地下聖堂に聖杯型の柱頭が再利用されていることがその証拠です。
15世紀後半から16世紀初頭にかけてまだ残っている壁は政府関係建物の基礎として使用され、建物自体は破壊されました。
この西暦1世紀初頭、アウグストゥス帝はローマ帝国の辺境都市に巨大な円形闘技場の建設を命じました。102mX80mの広さで2万人の観客を収容できました。これはコロッセオの収容人数の半分弱です。
サントロンツォ像が立つ高い柱は1656年のペスト流行から街を救った守護聖人への敬意を表して17世紀後半に完成しました。
【Chiesa di Santa Maria della Grazia】
広場の南側を取り囲む建物の城壁の中で、サンタ・マリア・デッラ・グラツィア教会はひときわ目立ちます。かつては商店が立ち並び、今ではローマ円形闘技場の広場で宗教的象徴となっています。建設は1595年に着工されました。まだローマ円形闘技場が埋もれていた時代のことです。
ぷらぷら歩いて夕暮れのレッチェ旧市街。
のんびりできるし、お店も沢山ある道があったりなかったり。これは住んでいる人も動きやすいですよね。
治安が良いのは本当に感動的。
【Basilica di Santa Croce】
ウンベルト1世通りの中心部に位置するサンタ・クローチェ聖堂は隣接するチェレスティーナ修道院と共にレッチェ・バロック様式です。そんなチェレスティーナ修道院の命により14世紀に建てられました。しかし皇帝カール5世による古代の領土拡張の命令により、1539年に青銅と隣接する修道院は取り壊されました。より大きく豪華な新しい教会は1549年に現在の場所に建設が開始されました。
今日はここまで。
続きは明日じゃ。
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