みなさん、こんばんは。
シエナでーす。
昨日ね、シエナ行ってきたんですよ。そしたらこれでもかって雨に降られまして。私は長靴を履いていたから平気だったけど、ツーリストは大変。服も靴もビチャビチャで気温も低いから体温が少しずつ奪われます。防寒をしっかりしていた私でさえ寒くて早く家に帰りたいなぁなんて思いましたよ。
こういう時はドゥオモで雨宿りよ。
いつもなら仕事終わったらさっさと出ていくところですが、少々のんびりしていきます。相変わらず美しい外観を持つ被昇天のマリアに捧げられた教会はシエナ旧市街ではちょっと離れた場所でも眺めることができます。
メディチ要塞から見たらこんな感じよ。
なんだろう、富士山的なもの?
ドゥオモ内部は360度どこを見ても装飾された他に類を見ない仕上がりです。シエナ共和国全体の体力、財力を感じますね。左身廊にある祭壇はこの中で白く浮かび上がっています。
ピッコローミニ祭壇。ピッコローミニ家はシエナの有力な貴族でした。実際2人のローマ法王を輩出しています。それはピウス2世とピウス3世です。
フランチェスコ・トデスキーニ・ピッコローミニ枢機卿の命により、1481〜1485年にアンドレーア・ブレーニョによって建造されたカッラーラ産大理石の作品。装飾はその後数十年に渡ります。ここでミケランジェロの登場です。ミケちゃんは1501〜1504年にかけて壁がん用の彫像4体を製作しました。
このフランチェスコ・トデスキーニこそ、のちのピウス3世(Pio III)であり、彼の叔父にあたるのがピウス2世(Pio II)です。ピウス3世は歴代教皇の中でも最も短い在位の1人であり、在位後わずか26日で亡くなってしまいました。
祭壇を完成させる予定だった彫像は合計15体で、1501年にミケちゃんに依頼されます。ミケちゃんはフィレンツェから彫像製作に携わり、大勢の助手を動員し、1504年までに毎年1体の彫像をシエナに送ります。当時のミケちゃんはもっと凄いのが作りたくってダヴィデ像の制作に集中するのです。そう、これらの彫像はダヴィデ像の製作と同時進行だったのです。
祭壇を飾る左右6つの壁がんのうち、左上段に聖フランチェスコ像はピエトロ・トッリジャーニ作でちょいとミケちゃんが手を加えました。
ここからがミケちゃんの4作品↓
聖アゴスティーノ像(数年前まで聖ピウス像と考えられていた)(左中段)
聖ピエトロ像(左下段)。
右上段の壁がんは空いていて、
聖グレゴリオ像(右中段)
聖パオロ像(右下段)
1501年6月19日、銀行家ヤコポ・ガッリの仲介により若き26歳のミケちゃんと契約が結ばれました。その直前にローマでヴァチカンのピエタ像を制作しノリノリの時代ですよ。この壁がんの作品を依頼されていたものの、同時にあのダヴィデ像の方がミケちゃんとしては集中したかったのです。で、ダヴィデ像制作をルンルンやって、こちらの彫像たちは断続的に手掛けていました。よってこの祭壇への納品がおろそかになってしまいます。さらにピウス3世の教皇選出と続く崩御(1503)もあり状況は悪い方向へ向かいそうでした。そんなミケちゃんをどうにか説得し1504年10月11日付の新たな契約によって、助手たちの多大な協力によりこれら4体が納品されました。既に支払われていた対価の返還、損害賠償からギリ免れたミケちゃんでした。
余談ですがこのピウス3世、前任教皇はあの悪名高きアレクサンデル6世(チェーザレ・ボルジアの父親)、後任教皇は壮大な墓をミケちゃんに指示したユリウス2世と有名人に挟まれた短命教皇でした。
ヴァチカンのピエタ像、フィレンツェのダヴィデ像の制作前後に挟まれた中でのあまり注目をされないこちらの祭壇ですが、そんな大作の間に仕上げられたものと考えるとじっくり鑑賞したいものです。精力的にミケちゃんがお仕事していたイケイケドンドンの時代なんだと。
そんなシエナのドゥオモにいらっしゃーい!
こちらもよろしくお願いいたします。
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